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高木菜那らが所属、名門・日本電産サンキョーが突然の廃部…選手も当日に知らされる“異常事態”はなぜ起こった?〈4月入社予定の高校生も〉
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byJIJI PRESS
posted2022/03/02 17:03
清水宏保や高木菜那をはじめ、日本のトップ選手たちを輩出してきた名門・日本電産サンキョースケート部の廃部が発表された
ただ、部を取り巻く空気はこの時点で変化したという。2014年ソチ五輪を前にしての記者会見では、長島、加藤を前に同会長が「1番でなければビリと同じ」と檄を飛ばしたのは象徴的だが、勝利を求められる度合いは強まった感があった。その分、社業の免除をはじめ競技に打ち込む環境は向上し、また、結果を残せば報奨金という形で応えてきた。銀メダルの長島には1000万円、銅メダルの加藤には600万円。平昌では高木に4000万円を渡している。
また、折々には、スピードスケートを支える意欲を示してきた。存続を決めたときには「廃部すれば日本のスピードスケートが崩壊する」と語っていたという。また平昌五輪後には、「会社は利益を上げるだけでなく、理屈とは違う見地、計算で考えないといけない。一般企業がどんどんスポーツ競技から撤退しているが、理屈で考えたら意味はないという判断になると思います。だけど、そこには違った意味がある」という趣旨の話をしている。
65年も続く名門なのに…なぜ“廃部”なのか?
それでも、65年の歴史に終止符を打つことになった。背景として指摘されるのが、スピードスケートの強化方法の変化だ。
2014年ソチ五輪でメダルなしに終わったあと、日本ではナショナルチームを立ち上げ、有力選手は1年の大半をそこで過ごし、練習に励むようになった。それが功を奏して、平昌、北京と金メダルを含む複数個のメダルを獲得するに至っている。ただ、選手をオリンピックの舞台まで育て上げるわけでもなくナショナルチームに預ける形となったことで、実業団の部の位置付けは曖昧に、あるいは以前と大きく様変わりしてしまったことは否めない。
最近ではスケート部がない会社に所属するなどして競技に取り組む選手もいる。とはいえ、学生の進路として有力な受け皿でもあった実業団チームが消えることは、ただでさえ競技環境が盤石とは言えない中で、影響は決して小さくない。
北京五輪出場の18歳も4月に入社予定だった
現在所属している選手たちの今後もある。選手たちには、発表当日に廃部が伝えられたという。現在海外遠征中の高木は、27日に会社への感謝をSNSでつづっていたが、その2日後に廃部の知らせを受けたことになる。今春の入社が内定していた選手もいる。北京五輪にただ一人の高校生として選ばれ、5000mに出場した堀川桃香だ。