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「できない奴は生き残れない」武藤敬司が語る、アントニオ猪木をイラつかせ、殺気立たせた“オールドスクールのプロレス”とは
text by
高木圭介Keisuke Takagi
photograph byYuki Morishima(D-CORD)
posted2022/01/28 11:00
1990年代から2000年代にかけてトップレスラーとして新日を牽引した武藤。現在もノアで現役を続けている
「動きの激しいプロレスは限界がくるよ」
そんな武藤が米国修行中に最も大きな影響を受けた人物は、ムタの生みの親であり、名物マネージャーとして名を馳せたゲーリー・ハート('08年に死去)と、ライバルとして激闘を繰り広げたNWA世界ヘビー級王者、フレアーだった。
「ゲーリーとの出会いで運命が変わった。まあ英語しか話さないから、話している内容を全部は理解できなかったけどさ(笑)。フレアーのプロレスは、今とは全く違うオールドスクールの典型。それでいて華があるしね。俺に言わせりゃ、オールドスクールのプロレスをできない奴は生き残れない。今主流の動きの激しいフィギュアスケートみたいなプロレスは、すぐに限界がくるよ。それに100kg以上の大型選手がやるには厳しいから、選手の小型化に拍車がかかる。俺はデカフェチだから、人並み外れた大きい奴が戦うのが好きなんだ」
猪木と戦ったムタが得た学習。
「オールドスクールのプロレス」を言葉で定義し、表現するのは難しい。ところが武藤は意外な名前と試合を例に挙げつつ、それを説明しようとした。
「俺が思うに、猪木さんがやってた異種格闘技戦こそがオールドスクールの究極なんだよ。コントロールの利かない選手を相手にしても、プロとして大会場で試合を成立させちゃう猪木さんは、その点においてもやっぱり天才なんだと思う」
2つのキーワード、「引き算」と「オールドスクール」の好例は、1994年5月1日に福岡ドームで実現した「猪木vs.ムタ」だったという。猪木と武藤の唯一の一騎打ちとして歴史に残る一戦。ただし対戦したのは化身のムタだった。試合は猪木が魔性のスリーパーで勝利したが、会場の空気やリングを支配したのは圧倒的にムタだったと評された。
「あれこそが引き算のプロレスだった。なかなか組み合わずに猪木さんをイライラさせてね。猪木さんの表情がどんどん殺気立ち、ムタはあの幻想的なキャラクターで、それをからかうように動き回った。将来に向けて大きなヒントを頂いたよ」