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「できない奴は生き残れない」武藤敬司が語る、アントニオ猪木をイラつかせ、殺気立たせた“オールドスクールのプロレス”とは

posted2022/01/28 11:00

 
「できない奴は生き残れない」武藤敬司が語る、アントニオ猪木をイラつかせ、殺気立たせた“オールドスクールのプロレス”とは<Number Web> photograph by Yuki Morishima(D-CORD)

1990年代から2000年代にかけてトップレスラーとして新日を牽引した武藤。現在もノアで現役を続けている

text by

高木圭介

高木圭介Keisuke Takagi

PROFILE

photograph by

Yuki Morishima(D-CORD)

今年50周年を迎える新日本プロレス。「闘魂三銃士」として一時代を築いた武藤敬司をインタビューした有料記事を特別に無料公開します。<初出:Sports Graphic Number981号(2019年6月27日発売)、肩書きなどすべて当時>

 アロハシャツ姿の武藤敬司はモノマネ芸の定番となる独特の歩き方で姿を現した。これまで階段を歩くには横向きのカニ歩きを強いられていたが、昨年3月、両膝に人工関節を入れて1年以上が過ぎ、ようやく正面向きで階段を歩けるようになった。退化しつつの大きな進化である。

 普段、男性スタッフの要望は露骨に面倒臭がる武藤だが、女性カメラマンの注文にはニッコリ笑顔で応じつつ「OK?」とポーズ。56歳となった現在も飄々とした「武藤流」にはブレがない。実際、両膝に刻まれた手術痕は痛々しいが、周囲に深刻視されないというのも人徳だろう。

 そんな武藤、生涯現役を宣言しているだけに総選挙の投票結果には興味津々だった。

「そりゃ最近は20代女子からのキャーキャーは減ったけどさ、20年前はプロレス雑誌の人気ランキングで10年連続1位だったんだぜ」

 今回は武藤で41位、武藤の化身、グレート・ムタで48位にランクイン。二人のポイントを合わせれば22位に相当する。レジェンド世代を代表しつつ、いまだに元付け人の棚橋弘至や30代の内藤哲也と本気で張り合い続けているのも“らしさ”である。

「世代の代表にされちゃった感じだよ」

 今年4月、ムタとして米国でリング復帰して以来、6月には早くも2度目の米国遠征を行った。現在の米国マットの盛況ぶりは武藤の目に「またバブりつつある」と映ったという。そんな中で米国ファンからは昔以上に、戸惑いを覚えるほど熱く歓迎された。

 現地では同時代に日米マットで戦い続けたスコット・ホールやブレット・ハートら懐かしい面々と顔を合わせた。すでにリングを降りている彼らとの再会で自分の立場も再確認することになった。

「同世代の連中と再会してきたけど、ほぼみんなリタイアしているんだよな。米国のファンからしたら『あの頃、スティングや(リック・)フレアーと戦っていたムタがやって来た!』って感じなのかな? みんな辞めちまったから、その分も俺に何かを求めているのかなと思った。その世代の代表にされちゃった感じだよ」

 30代前半で新日本プロレスのトップに立っていた頃、武藤は遅々として進まぬ新陳代謝、引退してもすぐに復帰する旧世代を皮肉りつつ「懐メロにはかなわない」「(ファンの)思い出と勝負しても勝てない」と辛口に語っていた。そんな武藤が懐メロ側を代表する『プロレスリング・マスターズ』を主宰しているのだから面白い。今や師であるアントニオ猪木の引退時の年齢を1つ超えてしまった。

「もちろん苦しい部分はあるよ。人工関節を入れても、やっぱり親から頂いた膝にはほど遠い。動けないなりに、リング上でどう対処していくかが課題。それには知恵を張り巡らせた『引き算のプロレス』で勝負するしかない。ズルさや狡猾さで若い連中と勝負するのも、またプロレスだからさ」

【次ページ】 アメリカで覚えたプロレスの基盤。

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武藤敬司
ザ・グレート・ムタ

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