Sports Graphic Number MoreBACK NUMBER
“笑わない男”稲垣啓太が結婚! 強靭メンタルの秘密と、変えたいと願っていたラグビー選手像「まだ質素なイメージありませんか?」
text by
![近藤篤](https://number.ismcdn.jp/mwimgs/6/b/90/img_6b8669cad6127fa089305f7f73874a7f13318.jpg)
近藤篤Atsushi Kondo
photograph byAtsushi Kondo
posted2022/01/26 17:03
![“笑わない男”稲垣啓太が結婚! 強靭メンタルの秘密と、変えたいと願っていたラグビー選手像「まだ質素なイメージありませんか?」<Number Web> photograph by Atsushi Kondo](https://number.ismcdn.jp/mwimgs/9/b/700/img_9b8043159b93fa29366776cf924b8471151851.jpg)
結婚を発表したラグビー日本代表PR稲垣啓太(31)。屈強な男たちの中でも際立つ「強靭なメンタル」の秘密に迫った
「1つ目は、中学3年生の時、野球からラグビーに切り替えた時期です。野球で高校に行くって決めていたくらいなので、今までやってきた野球を“捨てる”って言い方は悪いですけど、ラグビーにすんなり移っていけるのかなと、珍しく悩みました。続けてきたものを途中で変えるって、あんまり好きじゃないんです」
そんなに野球が好きだったのに、なんでまたラグビーに?
「全国大会の予選で敗退して、中3の部活動が夏で終わると、そこからヒマじゃないですか。ちょうどその頃、次兄がラグビーを始めました。彼のパス練習に付き合わされたり、試合を観たりしているうちに、夏休みだけでもラグビーやってみたらどうだって、高校のラグビー部のコーチと監督から誘われて。いきなり『はじめてのラグビー』というイベントに参加しろと言われて行ったら、まわりはみんな幼稚園児で。だけど全力で勝ちました」
ADVERTISEMENT
なんだかそのエピソードは悩んだというより、むしろほのぼのした感じですね。
で、2つ目は?
「大学時代です。4年の時に関東学院大学ラグビー部の主将をやらせていただいたんですが、関東リーグ戦1部から2部に落ちたんです。最初は『やってしまった』という気持ちだけだったんですけど、しばらく経って、後輩に申し訳なくなりました。少なくとも僕の1学年下の新4年生は、1部でプレーすることなく卒業するわけで。ある種の罪悪感をしばらく引きずりましたね」
こういうテーマの話をしていると、自分が落ち込んだり追い込まれたりした時、誰それがこんなことを言ってくれた、みたいなエピソードが出てきがちですけど、稲垣さんはメンタルが強靭だから、そういう話もないですよね? と、期待していないふりをして聞いてみる。
「うーん、あまり人に悩みを相談するほうでもないですし、誰かの言葉が支えになったとかもないですね。自分のことは全部自分で解決できると思っているタイプなんで」
他人の意見は必要ない?
まだしつこく食い下がる。
エディージャパン時代の代表選手たちは、あまりに熾烈な環境に置かれていたため、メンタルコーチの荒木香織さんに救われた、という話を聞いたことがあります。
「僕は特に助けてもらったことはないですね」
さらに食い下がってみる。
ジェイミージャパンでも最後の数カ月、メンタルコーチが必要だということで、デイビッド・ガルブレイスさんが入ってきましたよね。
「僕は必要としてなかったんですけど、お前は絶対面談に来い、って言われて会いにいきました」
その面談で得たものはありましたか?
「ガルブレイスに、毎日めちゃくちゃトレーニングしてるけど、お前、このままじゃぶっ壊れるよ、って言われたので、休みはもちろん必要だと思っているけど、休みにも定義がある、何もしないのが休みじゃない、と答えました。休みの日でも自分なりに体を動かして回復を図ったりしていたことが、傍からはただひたすらに無茶してるだけに見えたんでしょう。そこを説明したら、自分でちゃんとわかってやってるんだね、じゃあいいよ、と。結局、体は壊れないままW杯が終わり、そのままサヨナラしましたけど」
つまるところ、稲垣さんに他人の意見は必要じゃない、と?
「いや、その面談がためになったか、なってないかで言えば、なっているはずです。僕はこれまでいろんな人の考え方に触れてきました。それらをすべて汲み取って、自分の中に吸収してきたものもありますし、それは合わないと切り捨てたものもあります。すべてを最初から否定することはなくて、どんな意見や考え方もとにかく全部1度は僕の体の中を通っていますから」