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「1勝すらできず、31年ぶり2部落ち」“笑わない男”稲垣啓太が号泣した日…“人生初の挫折”を大学恩師が振り返る
posted2021/02/05 17:03
text by
近藤篤Atsushi Kondo
photograph by
Atsushi Kondo
発売中のNumber1020号「日本ラグビー 主将に学べ」では、稲垣啓太の大学時代について書いている。キャプテンを扱った特集で稲垣? 疑問に思われるかもしれないが、彼は大学時代に主将を務めているのだ。
彼の過去について色々と訪ねて回るのは、一昨年の12月、稲垣が生まれ育った新潟市、そしてラグビーを本格的に始めた新潟工業高校を訪れて以来だ。
「あいつは、子供の頃からとにかくでかくて、幼稚園の床をお遊戯中に踏み抜いたんです」とか。
「初めての花園での大会で、新しいシューズで決めたんですけど、靴ずれができちゃって新大阪の駅構内を裸足で歩いてました」とか。
「高校でチャリ通学を試みたんですけど、あいつ体重が重すぎて自転車が壊れちゃって、結局電車通学にせざるを得なかったんです」とか。
「下校中に電車の中で他校の不良に絡まれてドアのガラスに押し付けられていたら、たまたま車両を移動してきた啓太が現れて、その不良の胸ぐらを掴んで反対側のドアまで投げ飛ばしちゃいました」とか。
高校卒業までの稲垣には、ラグビーを始めて間もないという背景もあって、どちらかというとその巨体から生まれ出たコミカルなエピソードが多かった。
8人だった弱小ラグビー部を全国優勝に導いた男
2009年春、稲垣は新潟工業を卒業すると、関東学院大学に進学する。
高校での3年間、稲垣は北陸の名門で著しい成長を遂げ、3年生になるとU20日本代表に招集されるレベルの選手になっていた。とにかくでかい、だけではない。
稲垣は走ることも得意で、身のこなしもしなやかだった。
誰もが欲しがっていたその怪童を手に入れたのは、春口廣というラグビー指導者だった。