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長州力「墓に糞ぶっかけてやる!」新日本vs.Uインター“禁断の全面対抗戦”はなぜ実現したのか? 前哨戦すら“不穏試合”になりかけた衝撃
posted2022/01/06 17:02
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by
AFLO
1月8日、新日本プロレスとプロレスリング・ノアが5年ぶりに交わる『WRESTLE KINGDOM 16』が、横浜アリーナで行われる。
シビアな団体同士の潰し合いである「対抗戦」なのか、それともお祭り的な「交流戦」なのか。ファンの間で注目されていた今大会の対戦カード。発表されたのは、オカダ・カズチカ&棚橋弘至vs.武藤敬司&清宮海斗をはじめ、全11試合すべて新日本vs.ノアの試合。まさに全面対抗戦だった。
プロレス団体の全面対抗戦といえば、武藤敬司vs.高田延彦をメインにした伝説的な大会、1995年10・9東京ドームの新日本プロレスvs.UWFインターナショナル全面対抗戦があまりにも有名だが、「横浜アリーナ」という会場から、それとは別の大会を思い出す人もいることだろう。
ある意味で、日本プロレス史上もっとも殺伐とした緊張感あふれる団体対抗戦。それが10・9東京ドームの前哨戦として行われた、95年9・23横浜アリーナでの長州力&永田裕志vs.安生洋二&中野龍雄の一戦だ。
長州力「墓に糞ぶっかけてやる!」
そもそも新日本vs.Uインターが団体対抗戦史上最大のインパクトを残したのは、両団体が犬猿の仲であり、直接対決が実現することなどありえないと思われていたからだった。
91年5月に誕生したUインターは、旗揚げ当初から業界最大手の新日本を仮想敵に設定。さまざまな局面で、新日本への挑戦、挑発行為を繰り返していった。
92年10月、当時WCWが認定するNWA世界ヘビー級王者となった蝶野正洋が雑誌で「高田さんと闘ってみたい」と発言すると、その言葉尻を捉えてUインターの宮戸優光、安生、鈴木健がルー・テーズとともにすぐさまマスコミを引き連れ、新日本の事務所に対戦要望書を持ってアポなしで訪問。’93年には新日本のトップ外国人選手だったベイダー、サルマン・ハシミコフを引き抜き、’94年には優勝賞金1億円を用意したトーナメント開催をぶち上げ、新日本を含む主要5団体のエースに対し一方的に参戦招待状を送りつけた。
これには新日本の現場監督だった長州力も、「プロレス界の恥さらしだ。あいつらがくたばったら、墓に糞ぶっかけてやる!」と激怒。両団体が交わることは永久になくなったと思われた。
“絶対にありえない”直接対決が実現した背景
それが急転直下の対抗戦実現に至った背景には、両団体の財政的な問題があった。大きなスポンサーが付いていなかったUインターは、94年12月の安生洋二のヒクソン・グレイシー道場破り失敗から観客動員が激減したことで経営難に陥り、新日本も、95年4月28、29日に北朝鮮の平壌で開催した『平和の祭典』で多額の負債を抱えたため、大きな収益が上がるビッグマッチを早急に必要としていた。それまで険悪な関係だった新日本とUインターが突如として急接近したのは、背に腹はかえられぬ事情があったのだ。