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長州力「墓に糞ぶっかけてやる!」新日本vs.Uインター“禁断の全面対抗戦”はなぜ実現したのか? 前哨戦すら“不穏試合”になりかけた衝撃 

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堀江ガンツ

堀江ガンツGantz Horie

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posted2022/01/06 17:02

長州力「墓に糞ぶっかけてやる!」新日本vs.Uインター“禁断の全面対抗戦”はなぜ実現したのか? 前哨戦すら“不穏試合”になりかけた衝撃<Number Web> photograph by AFLO

1995年、10・9東京ドームのメインとして行われた武藤敬司vs高田延彦

長州のパートナーに抜擢されたのは“新人”永田裕志

 95年8月中旬、新日本とUインターは東京・白金台のシェラトン都ホテルで長州力、高田延彦同席の上で極秘会談を持ち、対抗戦実現に合意。そして8月24日にあらためて、長州と高田は記者の前で電話会談を行い、長州の「ドームを押えろ!」の一言によって、電撃的に10・9東京ドームでの全面対抗戦を発表。その前哨戦が、新日本の9・23横浜アリーナ大会で行われることとなった。

 当初発表されたカードは、長州力&“X”vs.安生洋二&中野龍雄。この時、最終的に長州のパートナーに抜擢された経緯を永田裕志はこう語っている。

「9月のシリーズが始まったとき、長州さんはコンディション作りのために休んで、猪苗代で合宿をやったんですよ。そこに僕も付き人だったんで付いていったとき、長州さんから言われたんです。『9月23日に横浜でUWFと前哨戦を一つ組む。そのとき、おまえか安田(忠夫)でいこうと思ってるから、準備だけしておいてくれ』って。俺にもついにチャンスが来たか、と武者震いしましたね」

 当時、永田はデビュー3年、安田もデビュー1年半とまだ“新人レスラー”の域を出ていない時期。しかし、永田は元レスリング全日本王者で、安田は巨体を誇る元大相撲小結。のちに両者ともに『INOKI BOM-BA-YE』などで総合格闘技に出場したことでもわかるとおり、当時から格闘技的な実力には定評があった。長州は、いわばvs.Uインター用の“秘密兵器”を従えて対抗戦に臨もうとしたのである。

 9・23横アリ当日も長州のパートナーは「X」のまま。永田は第1試合で高岩竜一戦が組まれており、Uインターとの試合の話はなくなったと思い込んでいた。ところが試合後、控室に戻ると長州から『次、もう一丁いけ!』と言われ、ダブルヘッダーで対抗戦への出撃を命じられたのだ。

「おそらく長州さんは、『ウチの若手、しかも2試合目の奴でも十分なんだ』というところを見せようとしたんでしょうね」(永田)

「ブーイングと罵声の音量で地鳴りが」…控室の床が震えていた

 そして迎えた長州&永田vs.安生&中野。対抗戦第1ラウンドということで、場内は異様にヒートアップ。とくに安生に対するブーイングと罵声は、これまで聞いたことがないくらいにすさまじいものがあった。

 当時、安生はヒクソン・グレイシーへの道場破り失敗後、業界からは「プロレスの強さのイメージを壊した戦犯」という扱いで批判を受け、またUインターが他団体を挑発するような記者会見では、かならず安生が矢面に立っていたため、新日ファンからすると最も憎らしい男だったのだ。9・23横アリの異様な雰囲気を安生はこう語っている。

「東京ドームもすごかったけれど、横アリは観客の殺気がハンパなかった。ブーイングと罵声の音量で地鳴りがして、裏の控室にいても、本当に床が震えてましたもん」

 そんな殺伐とした雰囲気の中で行われた試合は、これぞ対抗戦という緊張感あふれるものだった。ロープワークなど通常のプロレス的な動きは一切なく、新日本側がアマチュアレスリング、Uインター側はムエタイと関節技の技術で勝負する、異種格闘技戦のような闘い。

【次ページ】 “不穏試合”となりかねないギリギリの攻防

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