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“日本代表の6番手”だった町田樹「文字通り、死ぬ気で目指そうと決意しました」 ソチ五輪までの“命懸け”の1年間 

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byAsami Enomoto

posted2021/12/24 11:05

“日本代表の6番手”だった町田樹「文字通り、死ぬ気で目指そうと決意しました」 ソチ五輪までの“命懸け”の1年間<Number Web> photograph by Asami Enomoto

2013年の全日本フィギュアで準優勝を果たしてソチ五輪への切符を手にした町田。しかしそこまでの道のりはとても険しいものだった

「この子は本気で習いに来ようとしている。教えていけば、オリンピックに出て、上の方を望めるところまではおそらく連れて行けるだろう。でももし、この子がぼろぼろになったら、自分は責任を持てるだろうか。そう考えたんです。考えた末、よし、責任をすべて取ろう、そのかわり自分の好きにさせてもらおうと覚悟ができた」

 町田にスケートの基礎となる「コンパルソリー」(決められた図形に沿って正確に滑るフィギュアスケートの旧種目)から徹底的に教え始めた。

 大西氏の言葉通り、練習は控えめに言ってもハードの最たるものだった。

極度の疲労が見えても、淡々と「大丈夫です」

「命懸けで練習をしていましたね」(大西氏)

 ジャンプで転倒しても、何度でも立ち上がって跳んだ。文字通り「死ぬ気」で、練習に励んだ。

 練習だけではなく、シーズンそのものもハードだった。全日本選手権出場のためのシード権を持たない町田は、9月下旬の近畿選手権を皮切りに、国内のブロック大会とグランプリシリーズを掛け持ちする。大阪からアメリカ・デトロイト、京都、モスクワ、福岡――と転戦した。

 その中で練習の成果を確実に示した。グランプリのアメリカ、ロシアで連勝しグランプリファイナルに進出し4位。そして全日本選手権を迎えようとしていた。

 疲労は極限まで達し、試合を間近に控えてスケート靴が壊れるトラブルもあった。それでも動揺を見せず「大丈夫です」と淡々と語った。

「恐怖心が、魂から湧き出る力を与えてくれました」

 全日本の舞台で見せたのは、まさに渾身の滑りだった。ショートプログラムは『エデンの東』。「自分の運命は自分で切り拓くもの」という曲の解釈を込めた。ミスのない演技で2位と好位置につける。

「恐怖心が、魂から湧き出る力を与えてくれました」

 残るはフリーのみ。

「オリンピックに行くのは僕だと信じています。めいっぱい、飛翔したいと思っています」

【次ページ】 「本当に恋焦がれたメダルだった」

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