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“日本代表の6番手”だった町田樹「文字通り、死ぬ気で目指そうと決意しました」 ソチ五輪までの“命懸け”の1年間

posted2021/12/24 11:05

 
“日本代表の6番手”だった町田樹「文字通り、死ぬ気で目指そうと決意しました」 ソチ五輪までの“命懸け”の1年間<Number Web> photograph by Asami Enomoto

2013年の全日本フィギュアで準優勝を果たしてソチ五輪への切符を手にした町田。しかしそこまでの道のりはとても険しいものだった

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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Asami Enomoto

 圧巻の演技だった。

 2013年の全日本選手権で、町田樹はひときわ輝きを放った。その軌跡を考えれば、会心の演技というにはおさまらなかった。

 ソチ五輪代表選考のかかる大会だった。町田も代表の有力候補と注目を集めていた。

 だが前シーズンの時点では違った。むろん、ソチを狙う1人と考えられていたが、「日本代表争いの6番手あたり」という評価がされていたように、その地位は低かった。

「僕の位置からは(ソチ五輪代表は)難しいと思うんですけど」

 印象的な言葉がある。2012-2013シーズンが終わり、五輪シーズンへと向かう春先、インタビューの中で町田は言った。

「僕の位置からは(ソチ五輪代表は)難しいと思うんですけど。狙える位置にはいると思うので、目指していきたいです」

 のちに当時のことをあらためて聞いたときもこう答えている。

「あのときの僕は、100%ソチに行けると信じていたかというと、まったくそんなことはなくて、40%か50%、いや、30%くらいだったかな、けっこう低かった」

 控え目とも、自信がないともとれる言葉を口にする町田がいた。ただし、その言葉の裏には対照的な、覚悟があった。

「文字通り、死ぬ気でオリンピックを目指そうと決意しました」

 こうして五輪を“死ぬ気で”五輪を目指し始めた町田は、前シーズンの終盤に機会を得て話を聞いてもらい、そしてアドバイスをもらった大西勝敬氏に指導を仰ぐようになる。

「この子がぼろぼろになったら、自分は責任を持てるだろうか」

 大西氏はこう振り返っている。

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