- #1
- #2
JリーグPRESSBACK NUMBER
「練習が中止になればいいのに」サッカー嫌いの少年を魅了した“ゴールの快感” 上田綺世が考え続けた「得点のための論理」とは
text by
寺野典子Noriko Terano
photograph byGetty Images
posted2021/12/09 17:03
ユース昇格を逃し、県外の強豪校のセレクションにも落選したが、大学を経由して鹿島のエースとなった上田綺世。その裏には、父と二人三脚で練り上げた「ロジカルな考え方」があった
「スクールは少年団よりもレベルが高かったので、スクールで学んだことを少年団でも活かせる。そんなふうにふたつの環境を行き来しながら、考えに考えて、成長していくというのは僕の原点であり、今も変わらないことでもあります」
しかし、高校へ上がるまでの上田は、身長が低かった。体躯の違いは大きな壁となる。
「周りの子がどんどん身長が伸びていくなかでも、僕の成長は遅かったから、どんなにスキルを身につけても、できなくなっていく部分も多かったんです。ただ、父親が大きかったので、いつか自分も背が伸びると信じたうえで、体にいろいろ馴染ませて、技術とセンスを磨いて、点を獲る方法を体に叩き込みたかった。小さいけどヘディングは誰にも負けたくなかったし、小学生でもヘディングで点が獲れるというふうに工夫しようと」
ある場所で通用した能力もカテゴリーが上がり、環境が変われば、通用しなくなる。そこで諦めるか、諦められないのかが、大きく成長できるか否かの分水嶺だ。
「それまで誰も止められないような存在であっても、どんどん通用しなくなっていくというのは子どもながらにわかっていました。だから、そうなったら、新しい要素をどんどん足していかなくちゃいけない。それはずっと続くことなんですよ」
ユース昇格を逃し、県外の強豪校も不合格
中学時代は鹿島のジュニアユースである鹿島アントラーズノルテに所属したが、ユースには昇格できずに鹿島学園高校へ進学する。これが上田にとっての挫折だったと語られることは多い。しかし、彼が向き合った現実はもっと厳しいものだった。
「挫折と捉えてもらってもいいんですけど、僕は自信家でもないし、自分を過大評価しない。むしろ過小評価しているんです。だから、ユース昇格は目標だったので悔しかったけれど、納得しているところもあったんです。3校あるジュニアユースからユースへ上がれるのは15名ほど。そこに自分が入っているかといったら、入っていないだろうとも思っていたんです。ユースへ上がれないなら、県外の強豪校へ進学しようと考えました。でも、ことごとく県外の高校のセレクションは落ちてしまったんです」
いち早く上田を迎え入れようとしてくれたのが鹿島学園だった。しかし、時間的な余裕はなかった。鹿島学園への返答には期限があったからだ。鹿島学園に断りを入れて、このまま県外の高校へチャレンジし続けても合格する保証はない。どこにも受からなければ、一般入試で地元の高校へ進学するしかない。上田は悩んだ。