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「練習が中止になればいいのに」サッカー嫌いの少年を魅了した“ゴールの快感” 上田綺世が考え続けた「得点のための論理」とは
text by
寺野典子Noriko Terano
photograph byGetty Images
posted2021/12/09 17:03
ユース昇格を逃し、県外の強豪校のセレクションにも落選したが、大学を経由して鹿島のエースとなった上田綺世。その裏には、父と二人三脚で練り上げた「ロジカルな考え方」があった
「どんな環境であっても、成長するためには、自分がどうにかするしかない。だったら、僕を求めてくれる高校で、もがいてみるのもいいんじゃないかと鹿島学園への進学を決断しました」
しかし、鹿島学園は茨城県内では屈指の強豪校だ。最初の数カ月は70名弱が在籍する1年生だけでのトレーニング。6つに分けられたチームで紅白戦が実施されたが、上田は下位の3つのチームを行ったり来たりという状況だった。寮生活だったため、助言を求める父親もいない。上田はひとりで考えた。
「上位半分にも入れない。この状況で試合に出られるようになるのか? どうやって上へ行くのか。待っているだけではチャンスは来ないから、チームを観察して、状況を分析し、考えて、次の練習でやってみて、また考えてを繰り返し連続して行うしかないと。すぐには無理でも最終的に3年のときに試合に出られるように、と1年のときから考え続けました」
ようやくやってきた成長期「もう1回暴れられる」
高校入学時にも170センチに届かない身長。中学時代のように1トップのFWとしての評価は得られなかった。上田はサイドハーフでプレーし、プレーの幅をひろげながら、その時を待っていた。高校1年の途中から徐々に身長が伸び、センターフォワードというポジションを手にした。3年時には高校選手権にも出場している。
「足も速かったし、ドリブルもでき、自分で打開できたので、もう1回自分が暴れられるというふうに感じました。高校の3年間は“自分を出せるチャンス”を見出す時間になりました。それができたから大学へも繋げることができました。僕のキャリアにとって、一番重要な時間になったと感じています」
2017年に法政大学へ進学した上田は、同年関東大学リーグの新人王に輝き、大学サッカー界ナンバー1ストライカーへと成長する。<後編へ続く>