ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
「俺は目に指を入れて…」クマと生身で対戦したマサ斎藤、藤原喜明らが味わった“恐怖体験”とは《プロレスラーvs熊》
posted2021/09/02 11:01
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by
(左)Getty Images、(右)AFLO
この夏も日本各地でクマ出没のニュースが伝えられた。
多くは山の中や、山間部近くの民家周辺等での出没だが、6月18日には北海道札幌市の住宅街にヒグマが出没し、住民ら4人が襲われてケガをする事例も起こっている。
人間の生活圏へのクマの出没が増えた理由は、食料となるドングリの不作や、里山を管理する人が減りクマが居つき始めたことなど、さまざまな理由があるようだ。
いずれにしても、もしクマに遭遇してしまった場合は、気づかれないように、興奮させないように距離を取り避難するのが鉄則だが、プロレス界にはそんなクマと闘ってしまった人たちがいる。ここではいくつか事例を紹介しよう。
クマがフライングメイヤーを繰り出す
プロレスラーが“対戦”したクマは、もちろん野生のクマではない。レスリング・ベアという特別に調教されたクマで、「テリブル・テッド」というリングネームのクマが有名。
人間vsクマの闘いは、主に1950年代から1970年代ごろまで、アメリカでたびたびアトラクション的に行われており、当時、アメリカマットで活躍した日本人レスラーも何人かクマと戦っている。
その代表的なひとりが、70年代から80年代にかけて、アメリカ南部のテリトリーやカナダで活躍。のちにカナダ・カルガリー地区のコーチとしてダイナマイト・キッド、ブレット・ハート、馳浩、橋本真也らを指導したことで知られるミスター・ヒト(安達勝治)だ。
ミスター・ヒトは、中島らもとの共著である、その名もズバリ『クマと闘ったヒト』(MF文庫ダ・ヴィンチ)の中で、レスリング・ベアとの闘いを次のように語っている。
「おれがやったのは、ブラウンベアというやつで、体長2メートル50くらいあった。口輪をはめて、前歯と牙が取ってあるんです。爪もない。後ろ足の爪はあるんですけどね。
小さいときから育てていて、トレーナーがちゃんと教えていますからね。トレーナーがポケットにキャラメルを持っていて、なにかするたびにそれをやるんです。言ったとおりにちゃんとレスリングしますよ。下手なレスラーより上手い(笑)。俺がうしろにまわって掴みにいくと、ちゃんと腕を取ってフライングメイヤーしましたよ。おれはバーンと受け身を取って、今度はうしろからベアハッグ。
でもクマは加減がわからないから、ガッとつかみにくるでしょ。つかんでくると、もう力入って噛みにくる。最初はウワーッと飛び上がったけど、そのうち慣れたからガーンと殴ると、痛いから逃げていくんですよ」
どうやら人間をケガさせないように調教されているだけでなく、しっかりとレスリングの動きを教え込まれた、文字通りの“レスリング・ベア”だったようだ。
ちなみに、かつて“熊殺し”の異名を持った極真空手家ウイリー・ウイリアムスもドキュメンタリー映画『地上最強のカラテ PART2』の中で、クマと素手で闘っているが、ミスター・ヒト曰くウイリー・ウイリアムスが闘ったのも「そのクマですよ」とのこと。
マサ斎藤「俺は一回、ケツを噛まれてさ(笑)」
そしてクマとの対戦経験がある日本人のトップレスラーといえば、なんといってもマサ斎藤だ。マサも以前、筆者がインタビューした際、クマとの対戦経験を次のように語ってくれた。