Jをめぐる冒険BACK NUMBER
Jリーガーを辞めてJリーグを目指す“矛盾” プロ3年で引退した井筒陸也の今「僕がJリーガーに戻ることにはなんの意味もない」
posted2021/08/26 11:00
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph by
Kiichi Matsumoto
井筒陸也はある日突然、現れた――。
2018年2月、noteに投稿された彼のコラムを読んだサッカーファンやサッカーメディアの中には、そう感じた人も少なくなかったことだろう。
関西学院大時代にはキャプテンとして大学4冠(総理大臣杯、全日本大学選手権、関西学生選手権、関西学生リーグ)を経験し、徳島ヴォルティスではプロ2年目となる17年シーズンに出場機会を大きく増やしていたから、決して無名というわけではない。
だが、当時の徳島はJ2である。井筒自身も年代別の代表に選ばれたことはなく、全国的に知られた存在ではなかった。
そんなJリーガーによる『「結果がすべて」なんて大嘘』と題されたコラムのインパクトは強烈だった。プレーヤーとしての彼のそれとは比べものにならないほどに。
自身の体験談をベースに、スポーツをすることの意味について綴った文章は、ユニークな切り口と深い考察によってたちまち話題となった。
多くのメディアに取り上げられた彼がそのコラム以上にインパクトのある行動を起こすのは、10カ月後のことだった。
プロサッカー選手、引退――。
18年シーズンは左サイドバックのレギュラーを務め、クラブから契約延長のオファーがあったにもかかわらず、「ずっとサッカーを辞めようと思っていた」という言葉を残し、わずか3年でJリーガー人生に終止符を打ったのである。
もっとも、井筒が辞めたのはあくまでもプロサッカー選手であり、サッカーの世界から完全に足を洗ったわけではない。
セカンドキャリアに選んだのは、スポーツ関係の事業を営むベンチャー企業で働きながら、その会社が運営するクラブでサッカーを続けるという道だった。
あれから2年半――。井筒陸也は今、どうしているのか。
クラブの広報部を立ち上げて
約1万本の樹木が生い茂り、3つの庭園を有する都会のオアシス、新宿御苑。そこから歩いて5分ほどのビルに、株式会社Criacao(クリアソン)のオフィスがある。
株式会社Criacaoは、クリアソン新宿というサッカークラブの運営、新卒・中途採用の人材系サービス、アスリートによる研修やイベント事業を3本柱とするベンチャー企業だ。
井筒はここで、平日の日中はクラブの広報としてPR業務に励み、夕方や週末に社会人選手としてサッカーを続けている。
「2019年に入社してキャリア事業に携わったあと、クラブの広報部を立ち上げました。ホームページやSNSを更新する人はいたんですけど、メディア対応の担当がいなかったので。採用においても、営業や集客においても、クリアソンの認知度を上げたり、ブランディングに繋がる情報発信をすることはすごく大事で。僕は文章を書くのが好きなので、ホームページで選手のインタビュー記事を書いたりもしています」
現在、クリアソン新宿の名前で世に出ているオフィシャルコンテンツはすべて、井筒が作ったと言っても過言ではない。
「そうしてクリアソン新宿のファンになってくれた方々に、Facebookのコミュニティ『メンバーズクラブ』に入っていただく。さらには試合を見に来ていただけるように、どう繋げていくか。ファンマーケティングも担っています」