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《昭和・平成政治史と将棋》田中角栄に「先生」と呼ばれた棋士の名は… 村山富市は矢倉囲い、共産党・宮本顕治は将棋会館で観戦
text by
田丸昇Noboru Tamaru
photograph byKyodo News
posted2021/07/11 17:03
中原誠名人からアマ将棋六段の免状を受け取る田中角栄首相(当時)
芹沢は、田中から政界進出を持ちかけられたことがあった。参議院・全国区からの出馬で、田中の後ろ盾があれば当選は十分に可能であった。しかし、1983年の参議院選挙から、全国区の選挙制度が拘束名簿式の比例代表制に変わったことで、芹沢の出馬の話は立ち消えになった。
田中真紀子とも将棋の思い出話を
1993年12月。田中角栄は75歳で死去した。日本将棋連盟は棋界初のアマ名誉八段位を追贈した。
1994年3月。田中の長女で衆議院議員の田中真紀子が、免状のお礼を述べに東京・千駄ヶ谷の将棋会館を訪れた。将棋連盟の理事たち(私こと田丸理事も同席)と、生前の父親の将棋の思い出話に花を咲かせた。新潟の銘酒をお土産に持参したが、折りから米不足の時期だったので、「お酒よりもコシヒカリの方が良かったですかね」と笑顔で語った。
村山富市が首相として初めて将棋会館に来訪
政治家と将棋に関連したエピソードをいくつか紹介する。
1994年11月。日本社会党の機関紙が主催した女流アマ王将戦の全国大会が東京の将棋会館で開かれ、同党委員長で時の首相でもある村山富市が大会実行委員長として出席した。首相が将棋会館を訪れたのは初めてのことで、当日は会館の周囲は厳重に警備された。
村山首相は「大分の故郷は漁村で、朝は早いのですが昼は暇で、みんな将棋をよう指しました」と挨拶した。大会審判長の蛸島彰子女流五段とは、平手の手合いで記念対局をした。村山は矢倉囲いに組んで力強く攻めていったが、時間の都合で途中で指し掛けとなった。
それから1カ月後、将棋連盟は村山に六段の免状を贈呈した。
写真は、首相官邸での光景。右から、連盟理事の田丸八段、連盟会長の二上達也九段、村山首相、蛸島女流五段。