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《昭和・平成政治史と将棋》田中角栄に「先生」と呼ばれた棋士の名は… 村山富市は矢倉囲い、共産党・宮本顕治は将棋会館で観戦
posted2021/07/11 17:03
text by
田丸昇Noboru Tamaru
photograph by
Kyodo News
今から49年前の1972年7月上旬。自民党の総裁選挙の最終投票で、田中角栄が福田赳夫を破り、田中新内閣が成立した。その田中は将棋を愛好した。総裁選挙の最中には、それに関連した意外なエピソードがあった。同じくほかの政治家たちのエピソードも写真を交えて紹介する(棋士の肩書は当時。文中敬称略)。
1972年6月上旬。名人戦で通算18期・連続13期も制覇していた大山康晴名人は、24歳の挑戦者の中原誠八段に3勝4敗で敗れ、中原新名人が誕生した。新時代の到来を告げる名人交代劇だった。
その中原は、ある政界関係者を通じて、田中角栄に自筆の扇子を贈った。表側には盤面が書かれ、真ん中で四方をにらむ「5五角」がいた。白熱していた総裁選挙で田中への応援として、「ゴーゴー角(栄)」の意味が込められていた。
田中は同じ新潟県生まれというよしみで、以前から原田泰夫八段と親交があり、将棋を何局か教わる機会があった。
猛烈な早指し、攻めっ気が強く中飛車が得意
原田の話によると、田中は猛烈な早指しで、攻めっ気が強かった。中央の5筋に飛車を振る中飛車が得意戦法だった。政治の手法も将棋も「中央突破」を旨としていたのだ。
1972年7月下旬。中原新名人、原田八段らの棋士たちは首相官邸を訪れ、田中新首相に六段の免状を贈呈した。
田中は、《精巧極メテ深キヲ認メ……》という文言で結ばれる六段免状を何度も眺め、「これからは将棋も勉強します。ぜひ教えてください」と、満面の笑みをたたえて語った。
「せっかくの機会なので、中原名人に一手ご指南を」
田中は「せっかくの機会なので、中原名人に一手ご指南をしてほしい」と事前に指導対局を希望し、特別に1時間を空けておいた。しかし、野党の党首との会談が急に入って実現しなかった。
これが契機となり、田中と中原の交流は後年も続いた。