箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
「マネージャーにもなりたくなかった」青学大・伝説の主務が明かす、“走れなかった箱根駅伝”で初優勝するまで
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byYuki Suenaga
posted2021/07/06 11:00
青山学院大学陸上部の元主務だった高木聖也さん。現在は大学の後輩でプロランナーの神野大地をサポートしている
高木さんの中に自分たちの代が優勝できるという確信があったわけではない。むしろ自分たちが調べた他大学との戦力比較からも、中村匠吾、村山謙太らを擁する駒大、大六野秀畝がいる明大や東洋大が強いことは予想していた。「(青学大は)5番手以内に入るというレベルだった」という。
「でも、無謀な目標じゃない。成長次第では、狙える目標だと思っていました」
高木さんら4年生の熱い想いは、2015年の箱根駅伝で結実する。
優勝を確信した瞬間「マジで優勝か、うそだろって」
1区の久保田和真が快走して、トップの駒大に1秒差の2位で好スタートを切った。その後もいい流れで襷をつなぎ、4区の田村和希が区間新で区間賞と、トップの駒大に46秒差に迫った。5区は、この激走で「3代目・山の神」と呼ばれることになる神野だった。
「神野は、大崩れしないのが強みでした。2年から2区を任されるなど駅伝の主要区間を任されて安定した結果を残していましたし、普段の取り組みが成長に繋がっていて、こういう取り組みをしていたから強くなっていったんだろうなと見て分かる選手。原さんは『お手本になる選手』と言っていましたけど、本当にそうで、『みんな、神野を見ろよ』という選手でした」
神野は、軽い体を活かしてスイスイと坂を上っていく。先行する馬場(翔大・駒大)との差を徐々に詰め、10キロ付近でついに追いついた。
「この瞬間に、僕は勝ったなと思いましたね。マジで優勝か、うそだろって感じで……。めちゃくちゃテンションが上がりました」
高木さんは、神野のすぐ後ろを追う運営管理車に原監督とともに乗っていた。神野が駒大の馬場を抜き去った後、高木さんには原監督が興奮しながらも自らを落ち着かせようとしているのが見えた。
「僕らもですけど、原さんからしたら十何年越しの瞬間じゃないですか。内心はソワソワしているけど、自分のテンションを上げないようにしていたのか、急に車内にいる人に飴を配りだして(笑)。それはすごい面白かったですね」
神野は、柏原竜二のタイムを24秒も上回り、区間新で往路優勝。そこから青学大は1度もトップを譲ることなく、復路も制して箱根駅伝初優勝を達成した。
結果的に箱根駅伝は走れなかった。でも…
今の青学大の「自主性」のベースを作ったのは、高木さんたちの代の努力に他ならない。この時代にチーム内で静かに大きな改革が進み、その流れを原監督も容認していた。そこには高木さんたち4年生への信頼が大きかったことが見て取れる。実際、高木さんたちは原監督と衝突することはほとんどなかった。基本的に主務は監督の立場に寄り、運営をしていかなければならないが、高木さんは、監督が目指す方向と学生が考える方向が一致するように両方にうまく働きかけて調整していった。