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「マネージャーにもなりたくなかった」青学大・伝説の主務が明かす、“走れなかった箱根駅伝”で初優勝するまで 

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佐藤俊

佐藤俊Shun Sato

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photograph byYuki Suenaga

posted2021/07/06 11:00

「マネージャーにもなりたくなかった」青学大・伝説の主務が明かす、“走れなかった箱根駅伝”で初優勝するまで<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

青山学院大学陸上部の元主務だった高木聖也さん。現在は大学の後輩でプロランナーの神野大地をサポートしている

 高木さんは、彼らが入学してくる1年前、熊本の駅伝強豪校・九州学院から青学大に進学し、陸上部に入部した。5000mの持ちタイムは14分42秒で、新入部員11人中9番目。トップのタイムは、2009年の世羅高校の都大路優勝メンバーでのちに主将となる藤川拓也(14分15秒・現中国電力)だった。

度重なる怪我「でも、マネージャーになりたくない」

 箱根駅伝出場に向けて、部内の激しい競争に揉まれる高木さんだったが、なかなか思うようには走れなかった。高校1年時は中学時代の3、4倍の練習をこなしても壊れず、そのタフさを評価されていたのに、青学に入ると度重なる怪我に苦しんだ。

「チームの練習を見ていて、自分もこういう練習をこなせれば箱根のメンバーに入れるかもしれないと思って取り組んでいました。でも、高2の時に発症した抜け症は改善しないし、疲労骨折も2年間で3、4回やって……。やればやるほど難しいなっていうのをなんとなく自分でも分かっていたんですけど、その気持ちにずっと抗いながら走っていた」

 青学大の陸上部には、2年から3年に進級する時に、選手として継続できるかどうかの基準が設けられている。5000mで14分40秒――。このタイムを切れないと、原晋監督からマネージャーへの転身を告げられるのだ。

「ルールがあるのは知っていましたし、僕がそこの対象に入るのは理解していました。でも、マネージャーになりたくない、なんとかそこから脱したいという気持ちが強かった」

 しかし、青学大の陸上部は走りたいという気持ちだけでいられる場所ではなかった。大学2年の夏、ついに原監督から「マネージャーにならないか」と肩を叩かれた。

「1時間05分30秒を出したら選手として続けさせてください」

 だが、高木さんは、簡単に箱根を諦めるわけにはいかなかった。陸上の名門・九州学院高校に進学することを決めてから、競技人生の最大の目標はずっと「箱根駅伝」だった。地元を離れ、青学に進学したのもそのため。両親や親戚、友人、恩師の期待にも応えたかった。可能性がある限り、選手として挑戦したい――。

 原監督に大学2年の3月、立川で開催される学生ハーフで「1時間05分30秒を出したら選手として続けさせてください」と交渉した。監督は、ラストチャンスを高木さんに与えてくれた。

「地元の友人とかも僕が箱根を目指しているのを知っていて応援してくれていたので、『もう走れない』という報告をするのが嫌だなって。だから、諦めたくなかったですし、マネージャーにもなりたくなかったんです。そうしてチャンスをもらって……。でも、箱根駅伝直前の12月末の学内TTを走った時、左の中足骨が折れてしまった」

【次ページ】 開口一番「マネージャーとしてがんばりなさい」

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