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瀬古利彦×谷口浩美「日本マラソン最強の男は誰だ?」~レジェンド放談~
posted2021/07/06 07:00
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph by
AFLO
かつて日本のマラソン界トップがすなわち“世界”だった黄金期があった。尋常ではない練習量を誇った宗兄弟、ズバ抜けた才能に強靭なメンタルを備えた中山竹通、彗星の如く現われモンジュイックの丘に散った森下広一。真のレジェンドふたりが語り合う、ニッポン長距離界の輝かしい記憶。
瀬古 谷口君、久しぶり。あれ? なんだか、また痩せたんじゃない?
谷口 頬、コケちゃいました(笑)。
瀬古 まだ、そのギャグ使ってるのか! でも、面白いからいいよ。
――あの~、対談を始めていただいていいでしょうか。
瀬古 あれ、もう始まってるつもりだったんだけどな。
――まず、日本のマラソンの黄金時代を彩ったおふたりの、初マラソンの思い出を語っていただきたいんです。
瀬古 私の初マラソンは大学1年、1977年2月の京都マラソンです。一浪して早稲田に入って、翌年1月の箱根で2区を走って区間11位でね。浪人時代からのブランクで準備不足は明らかだったんだけど、モスクワ・オリンピックを目指すには最低でも3回はフルマラソンを走っておきたいと逆算して出たんです。「マラソンって、どんなものなんだろう?」と恐る恐る走ってみたら、25kmくらいでランニングハイになってね。ちょうど優勝したビル・ロジャース選手が折り返してきたのが見えて、調子に乗ってペースを上げたんです。
――ロジャースは瀬古さんのライバルで、ボストン、ニューヨークシティでそれぞれ4回優勝している名ランナーですね。