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トルシエ「井原が席を立つまで部屋に戻るな」“型破りすぎた”名将は日本サッカー界に何を残したのか?【66歳に】
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph byKazuaki Nishiyama
posted2021/03/21 11:04
本日3月21日はフィリップ・トルシエの66回目の誕生日だ
とにかく、トルシエはノルマを達成し、日韓W杯は幕を閉じた。彼が残した論点は、結果についてだけではなかった。
3-5-2というシステムありきのなかで、日本人の良さがどこまで発揮されたのか。細かく教え込むトルシエの指導スタイルは、果たしてベストだったのか。中村俊輔の落選は、避けられなかったのか──。
一方で、現在につながる遺産も見つけられる。
中村の俊輔落選の裏側では、34歳の中山雅史の選出があった。31歳の秋田豊も選ばれた。98年のW杯を知るふたりは、先発ではない立場でチームを盛り立て、ベテランの存在意義を広く認識させた。
日韓W杯から8年後の南アフリカW杯では、岡田監督がGK川口をサプライズ選出した。チームキャプテンに指名された彼は、同じサブメンバーの楢崎正剛や中村俊らとともに若手や中堅を後方支援し、前評判を覆しての16強入りに貢献した。
18年のロシアW杯では、30代になった本田圭佑や岡崎慎司が同じような役割を担った。10年の南アフリカW杯で川口らに接していた彼らは、先発ではない選手の役割を理解していたのだろう。トルシエが率いた02年大会はW杯を勝ち抜く成功モデルとして、その後のメンバー選考に影響を及ぼしていったのである。
「私が日本サッカー界に与えたものはあった」
「私が日本サッカー界に与えたものはあったでしょうし、私が学ばせてもらったものもありました。私たちのマリアージュは、なかなか興味深いものだったと思います」
日韓W杯から数年の時間を経て、トルシエはこんな話をしていた。古い記憶は角が取れて柔らかく、温かみを増していくものだが、それにしても、トルシエという人間は憎めない存在である。