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右肩が壊れ巨人軍から解雇、魚雷を受け戦死…大野雄大がたどった伝説の名投手、沢村栄治の足跡 

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小西斗真

小西斗真Toma Konishi

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photograph byKyodo News

posted2021/01/28 17:01

右肩が壊れ巨人軍から解雇、魚雷を受け戦死…大野雄大がたどった伝説の名投手、沢村栄治の足跡<Number Web> photograph by Kyodo News

沢村栄治の銅像の前に立つ中日の大野雄大。沢村賞の金杯を手に、出身の京都ゆかりの大投手に思いを馳せた

巨人軍から解雇を告げられ、3度目の召集令状が

 2度目はフィリピン戦線へ送られ、ミンダナオ島に上陸した。沢村は新婚だった。帰国後は右肩が上がらず、アンダースローに変えてみたが、もうまともに投げることはできず、巨人軍から解雇を告げられた。

 失意の沢村に3度目の召集令状が届く。1944年12月。沢村を乗せた輸送船が、福岡県の門司港を出港した。屋久島沖150キロで米国の潜水艦による魚雷攻撃を受け、沈没。乗組員全員が死亡したと伝えられる。すでに日本近海の制海権は米国に握られていたが、危険な水域のはるか向こうには、絶望的な飢えと圧倒的に不利な戦闘を強いられている南方戦線が待っている。海を渡るのも地獄。ジャングルでさまようのも地獄。

 日本が無条件降伏を受け入れるのは、沢村が27歳で戦死した8カ月後のことだった。

 京都での自主トレを終えた大野は、チームより早く沖縄県北谷町に飛び、キャンプに備えてきた。天候にも恵まれ、調整は順調だと聞く。外出と外食禁止、全球団無観客でのキャンプがスタートする2月1日は、沢村の誕生日でもある。

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