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「ホークスが万年Bクラスだった時代を知る男」49歳小久保裕紀・新ヘッドに一番“尻を叩かれそうな”若手は…
posted2021/01/28 17:02
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph by
Sankei Shimbun
まもなく春季キャンプ。ホークスのレジェンドが、背番号90のユニフォームに身を包んでいよいよ帰ってくる。
9年ぶりにホークスに復帰した小久保裕紀ヘッドコーチだ。
「人生はまだ半分。これから野球界のためにもっともっと頑張れ」
2012年10月8日。引退試合終了後のセレモニーで、王貞治球団会長から花束を受け取った際に耳元で囁かれた言葉だ。引退翌年の2013年10月にこの時から常設化された侍ジャパンの初代監督に任命され、2017年の第4回ワールドベースボールクラシックまでその職務を全うしたが、もう一人の恩師の言葉もずっと胸の中にしまっていた。
「いつかはホークスで指導者になるという夢を持て、と(ホークス入団当時の監督だった)根本(陸夫)さんに教わっていました」と小久保ヘッド。昨年12月の就任会見の席で、そのエピソードを懐かしそうに振り返った。
万年Bクラスのホークスだったが……
プロ入りしたのが1994年。当時のホークスは現在では想像できないほどの弱小チームで万年Bクラスが当たり前だった。小久保は青山学院大学時代にバルセロナ五輪に出場しており、当然即戦力と期待されていたがルーキーイヤーはプロの壁に苦しみ決して順調なスタートを切ったとは言えなかった。
しかし、徐々に頭角を現していき、小久保の成長に比例するようにホークスは強くなっていった。常勝軍団のトビラを開いた1999年のダイエー初優勝と日本一、翌年のリーグ連覇と夢のONシリーズを不動の4番打者として戦った。
19年間の現役生活でホームラン王と打点王が1度ずつ。ベストナインとゴールデングラブ賞も3度ずつ獲得。日本シリーズMVPにも1度輝いている。通算2041安打、413本塁打。
「俺は不器用やからな」
怪我の多い野球人生で、手術は8度を数える。