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南野拓実が継承「日本代表歴代10番」を写真で見る 香川真司に中村俊輔、懐かしの名波浩&ラモス…
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph byTakuya Sugiyama
posted2020/10/09 17:03
森保ジャパンでは主に「9番」をつけていた南野拓実。リバプールに在籍する男が「10番」を背負うのは誰もが納得だろう
ファルカン体制の10番、そしてラモス&和司
(8)岩本輝雄
フランスW杯に向けてロベルト・ファルカン監督が就任した当初、10番を任されたのは当時ベルマーレ平塚に在籍した岩本だった。
初招集時は背番号6、そして左サイドバックでのプレーしていたものの、1994年10月のアジア大会では背番号10を託された。しかしチームは準々決勝韓国戦で敗退。岩本自身もこの後、代表戦出場の機会は巡ってこなかった。
(9)ラモス瑠偉
多くの人々に「日本代表の10番」のイメージを強く刻み込んだのは“カリオカ”ことラモスだろう。ブラジルから帰化したラモスは1990年に日本代表に初選出される。その後監督に就任したハンス・オフトとの確執があったとされたものの、和解後は中盤のゲームメーカーとして絶対的な存在に君臨する。
高いパスセンスと熱い闘争心を前面に、1992年アジアカップ優勝に導いた。その一方で1993年アメリカW杯予選の“ドーハの悲劇”では、ピッチに座り込む姿に多くの人が涙した。
(10)木村和司
1980年代の日本サッカーを支えた木村は、テクニシャンかつ必殺のフリーキックで攻撃の活路を開いた。彼にとって語り草なのはもちろん、1985年のメキシコW杯予選だ。
1次予選シンガポール戦から国際Aマッチ6試合連続ゴールを記録。そしてその6試合目となったアジア最終予選・韓国との第1戦では国立競技場で鮮やかな直接FKを突き刺し、W杯出場への夢をつないだ。
◆彼ら以外にも……
各監督のサッカーの志向、また国内組のみの招集時に短期間だけ「10番」を預かった選手もいる。それは森岡亮太、興梠慎三、大島僚太、山瀬功治、三浦淳宏らだ。彼らの雄姿もぜひ関連記事の【秘蔵写真】から確認してみてほしい。
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。