Jをめぐる冒険BACK NUMBER
下田アナの絶叫が心揺さぶる理由。
「20回言い間違えたとしても……」
posted2020/01/23 20:00
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph by
Atsushi Iio
サンバを思わせる軽快なテンポも、抑揚のあるしゃべり方も、まるで良質な音楽を聞いているように心地良かった。
スタジアムに熱狂が訪れた瞬間の、爆発的な絶叫さえも――。
「ゴォーーーーーーーーーーーーーーーーーーール!!!」
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遊びたい盛りにもかかわらず、友だちに別れを告げ、地球の反対側で暮らすことになった小学3年生にとって、ラジオから流れてくるサッカー中継は何よりの楽しみで、極上のエンターテインメントだった。
もちろん、ポルトガル語など理解できない。だが、それでもスタジアムの風景が、ピッチ上の情景が、ありありと想像できた。
「サッカーでゴールデンエイジってあるでしょ。運動能力が急速に発達する10~12歳の頃が、サッカーに必要なあらゆる技術の獲得に最適な時期なんだけど、僕はこの時期に耳でサッカーを聞いているんですよ。そのリズム、その感覚が自分の中に染み込んでいる」
それが、アナウンサー下田恒幸の原点である。
「もう、その頃から将来の夢は、サッカーの実況者になることだから。我ながらブレずによくここまで来たよね(笑)」
小学生時代に漠然と抱いた夢を叶えることの難しさは、誰もがよく知っているだろう。憧れの職業に就ける人は、ほんのひと握り。そもそも、人生経験を積むにつれ、将来の夢なんて変わっていくものでもある。
ラジオでの野球中継、杉本清の名実況。
しかも、父親の転勤のために渡ったブラジルで下田少年がサッカーを観るだけでなく、聞く楽しさに目覚めたのは1970年代後半なのだ。中学1年のときに帰国したが、Jリーグが誕生するのは10年以上先のことになる。
「そう考えると、変だよね、プロリーグもサッカー中継もないのに将来はサッカーの実況をしたい、って思い続けていたわけだから(笑)。ただ、子どもの頃の夢ってそんなもんじゃない? それに、野球中継はあったから。僕、巨人ファンだったんですよ。テレビの野球中継って19時からしか始まらないでしょう。だから、18時のプレイボールの瞬間からラジオをつけるわけ」
高校生になると、競馬の実況にもハマった。
「高校のクラスメイトがバイト先で競馬を学んで、学校に競馬文化を持ち込んだ。重賞の時期には誰かがスポーツ紙を買ってきて、予想したりしてね。
ミスターシービー、シンボリルドルフの時代。教室では、杉本さん(関西テレビの杉本清アナウンサー)の実況なんかも話題になるわけ。『おまえ、あれ、聞いたか?』って」
そんな中学、高校時代を過ごしたから、大学に進学しても夢がブレることはなかった。
将来はサッカーの実況を生業にしたい。だから、まずはアナウンサーになる――。