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南野拓実が継承「日本代表歴代10番」を写真で見る 香川真司に中村俊輔、懐かしの名波浩&ラモス…
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph byTakuya Sugiyama
posted2020/10/09 17:03
森保ジャパンでは主に「9番」をつけていた南野拓実。リバプールに在籍する男が「10番」を背負うのは誰もが納得だろう
ジュビロ黄金期の“あの3人”も
(5)藤田俊哉
ジーコジャパン時代の背番号10と言えば中村俊輔のイメージが強い。ただし中村が招集できない状況で背番号10を着用したのは藤田だった。
もちろん、藤田自身も実力者だ。所属したジュビロ磐田では1997年から2003年、ユトレヒトへの期限付き移籍を経て、2004年から05年までずっと背番号10をつけ続け、史上初となるMFでのJ1通算100ゴールも達成している。また2004年3月31日のドイツW杯アジア予選、シンガポール戦で決勝ゴールを挙げ、思わぬ苦戦を強いられたチームを救っている。
(6)中山雅史
2002年、自国開催となった日韓W杯は、意外にも中山が背番号10をつけることになった。4年前のフランスW杯で日本代表のW杯初ゴールを泥臭くねじ込んだ中山は、日韓W杯開幕前時点で34歳。そのシーズンのJリーグで得点数が伸びなかったこともあって2大会連続の招集は厳しいかと見られたが、秋田豊とともに“サプライズ選出”される。小野伸二や稲本潤一ら当時20代前半の選手が多い中で、チームを鼓舞する役割をトルシエ監督に期待されたと言われている。
日本代表にとってW杯初勝利となったロシア戦には、試合終盤に出場。献身的なプレッシングで1-0の勝利に渋く貢献した。
(7)名波浩
W杯で初めて日本代表の10番を背負った男。それが名波だ。ジュビロ磐田でルーキーシーズンから活躍すると、加茂周監督が日本代表に招集され、フランスW杯予選では10番を預かった。苦戦した最終予選の中でもアウェーの日韓戦で先制ゴールを決めるなどチームを初のW杯に導いた。
また2000年に開催されたアジアカップでは中村俊輔とのダブルレフティーで圧倒的な攻撃力を見せつけ、優勝に大きく貢献(自身はMVPを獲得)。また磐田でも「N-BOX」の中心として君臨した。