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タカマツが歩んだ13年と偉大な功績。
“余った”2人が世界で一番になった。 

text by

石井宏美

石井宏美Hiromi Ishii

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photograph byItaru Chiba

posted2020/08/20 19:00

タカマツが歩んだ13年と偉大な功績。“余った”2人が世界で一番になった。<Number Web> photograph by Itaru Chiba

現役引退を表明した高橋礼華(右)。3月の全英オープンが“タカマツ”のラストマッチとなった。

「五輪」を意識させた先駆者の存在。

 女子ダブルスは2008年北京五輪の小椋久美子、潮田玲子組、同大会で4強入りした末綱聡子、前田美順組が実力をアピールし、2012年ロンドン五輪では藤井瑞希、垣岩令佳組が銀メダルを獲得。タカマツは先輩ペアたちの奮闘を見ながら、世界でなかなか勝てない時期も地道な練習を繰り返してきた。高橋は言う。

「オリンピックを目指したい、出場したいと思うようになったのは、北京大会で前田さんと末綱さんが当時の世界ランキング1位の中国ペアを破って準決勝まで進んだ試合でした。五輪ってすごい場所なんだと感じましたし、当時はまだぼんやりとでしたが、こういうところで活躍できたらうれしいなって。尊敬する先輩方と対戦することもすごく楽しかったですし、自分たちが金メダルを獲れるようになったのも、北京、ロンドンの先輩たちの戦う姿を見られたからこそだと思っています」

タカマツを見て、成長する後輩たち。

 追われる立場は追う立場より難しいと一般的に言われるが、金メダリストとなったタカマツも例外ではなかった。リオ五輪後は気持ちの上がらない日々が続き、世界ランクは上位をキープするものの、優勝もすれば1回戦負けもあるなど、安定感を欠き、苦しい時期を経験した。

 一時期は現役続行のモチベーション低下に悩んだが、葛藤の末、東京五輪を目指すと決意。リオ五輪でのタカマツの金メダルを見て“自分たちもできる”と自信を持った若手らが台頭し、東京五輪の選考レースはさらに困難を極めたが、そんななかでも、タカマツは五輪連覇という日本バドミントン界ではまだ誰も見たことのない景色を確かめるために戦い続けた。

【次ページ】 13年間ペアを組んだ松友への想い。

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