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50年前の選手宣誓に衝撃を受けた。
甲子園の変化は成長か、それとも……。
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph byKyodo News
posted2020/08/18 11:30
50年前の甲子園も満員だった。定型文を読むことと、大人の期待に応えた言葉を発すること、自由なのはどちらだろうか。
現在の選手宣誓はスピーチになった。
対して、2020年の高校野球の交流試合はどうか。
8月10日、新型コロナウイルスの感染防止策のため、最初の試合を戦う大分商と花咲徳栄(埼玉)両校の選手だけが参加した開会式で、ふたりの主将はこんな選手宣誓を行った。
口火を切ったのは、大分商の川瀬堅斗主将だ。
「宣誓、私たち高校球児は夢の舞台、甲子園に立つことを目指し、仲間と共に励まし合いながら、心技体を鍛えてきました。
新型コロナウイルスとの戦いや度重なる大規模な豪雨災害からの復旧、復興など、厳しく不安な状況下で、生活している方もたくさんおられます。
このような社会不安のある中で都道府県の独自大会、そしてこの2020年甲子園高校野球交流試合を開催していただけることによって、再び希望を見いだし、諦めずにここまで来ることができました」
そして、花咲徳栄の井上朋也主将が続く。
「ひとりひとりの努力がみんなを救い、地域を救い、新しい日本を作ります。
創造、挑戦、感動。
いま私たちにできることは、一球をひたむきに追いかける全力プレーです。
交流試合の開催や、日々懸命に命、生活を支えてくださっているみなさまへの感謝の気持ちを持ち、被災された方々をはじめ、多くのみなさまに明日への勇気と活力を与えられるよう、選ばれたチームとしての責任を胸に――」
そしてふたりの声が重なる。
「最後まで戦い抜くことを、ここに誓います」
選手宣誓というよりも、高校生の主張、思いが込められたスピーチといった方が正確だろう。この文章がふたりの高校生だけではなく、学校、大会関係者の大人も一緒になって練り上げられたということも想像に難くない。
従順から挑戦へ。感動は……?
50年以上の時を経て、選手宣誓はどうしてこんなにも変わってしまったのだろうか。
私には、大人が高校生に求める「理想像」が変化したのだと思える。
1960年代、高度成長期には元気よく、従順な人材が求められていた。この流れは、少なくとも1980年代までは続いていたように思う。
しかし時代は変わった。選手宣誓に「創造」や「挑戦」や「感動」という単語が入るようになった。
現代では、クリエイティビティが教育現場で求められ、身の丈を越えた挑戦が尊ばれる(最後の「感動」という言葉だけは、大人が感動したいという思いが込められているような気がする)。