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50年前の選手宣誓に衝撃を受けた。
甲子園の変化は成長か、それとも……。
posted2020/08/18 11:30
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph by
Kyodo News
半世紀という時間の持つ意味。
高校野球の選手宣誓の移り変わりを見るにつけ、日本の社会はこんなに変わってしまったのかと驚いた――。
8月14日、アップリンク吉祥寺という映画館で、市川崑監督のドキュメンタリー、『第50回全国高校野球選手権大会 青春』のリバイバル上映を観た。
市川崑は物議を醸した『東京オリンピック』を発表後、『トッポ・ジージョのボタン戦争』を挟んで、記念大会の記録映画『青春』の製作に入った。
映画は1968年の開会式に始まり、時を遡って1967年の冬の練習風景が続く。そして春、秋と季節が進んでいくが、いまとなっては貴重な映像がたくさんある。
夏を前にしての練習風景では、部員200人を超える中京商業(現・中京大中京)のグラウンドを俯瞰で捉えた映像がまさに圧巻(これが噂に聞いていた甲子園サイズのグラウンドか、と思った)。
京都に目を転じると、平安高校の卒業生、西村進一氏が登場する。昭和13年(1938年)、夏の甲子園で優勝。太平洋戦争ではラバウルで右手首を失い、プロ選手としてのキャリアを断たれた。戦後、義手を巧みに操って母校・平安を、昭和26年(1961年)の夏の甲子園、優勝に導いた。
この年の決勝戦の顔合わせは、興国(大阪)対静岡商業。静岡商は後に巨人などで活躍する新浦壽夫が眼鏡をかけたエース、そして中大を経て中日に入団する藤波行雄が3番打者として登場する。
選手宣誓とは定型文を読むことだった。
そして印象的だったのは、日大一高(東京)の千葉清主将の選手宣誓だ。この宣誓がとても短いのだ。
「宣誓、われわれ選手一同は、スポーツマンシップに則り、正々堂々、試合することを誓います」
わずか10数秒。
おそらく、50歳以上の日本人ならば諳んじている定型文だ。あまりのシンプルさに、かえって衝撃を覚えた。
実はこの選手宣誓は「史上最高」と評されていたと、私が小学校のころ(1970年代のことだ)の児童書で読んだ記憶がある。
おそらく、いまの若い世代では理解できないだろう。
定型文を元気よく、ハキハキと読むことが50年前の日本では高い評価を得ていたのである。