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横浜隼人・水谷監督の見果てぬ夢。
花巻東に預けた息子・公省と甲子園で。 

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安倍昌彦

安倍昌彦Masahiko Abe

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photograph byKyodo News

posted2020/07/16 07:00

横浜隼人・水谷監督の見果てぬ夢。花巻東に預けた息子・公省と甲子園で。<Number Web> photograph by Kyodo News

水谷公省は2019年夏に2年生4番として出場しながら、途中交代で花巻東も初戦敗退。誰よりも1年間の成長を甲子園で見たかったのは父かもしれない。

父は「見ても、何も言いません」。

「花巻東が2009年に、菊池雄星で甲子園に出た時です。長崎日大の大瀬良(大地、現・広島)と投げ合っていい試合をしていたのを見て、『高校は花巻東に行く!』って、もうその頃から言ってましたから。ええ、僕がすすめたわけじゃありません。本人が小学生の時に、自分で決めて花巻に行きました」

 水谷監督はいつも元気だ。

 話のテンポが軽快で、語り口もいつも快活でハイテンション。

 試合が始まると、「1万点取ってこーい!」と、選手たちを鼓舞する。

「でも一度も見たことないんです、アイツが野球やってるとこ。去年の甲子園も見てないし、練習試合も組むことは組むんですが、去年の夏は花巻が甲子園に出て中止、この春はコロナで中止。たまにこっちに帰ってきた時に、素振りを見るぐらいで。

 見ても、何も言いません。指導の邪魔になりますから。まあまあ振れるようになってきたかなぁって思うぐらいですかね」

プロ注目の投手たちが相手でも。

 この日花巻東が対戦したのは、秋田の強豪・ノースアジア大明桜高。今年のチームは、橘高康太、長尾光、佐々木湧生とプロ注目の3人の快腕を擁して、打者にとっては攻略困難なはずだった。

 しかし花巻東・水谷公省は、次々に登板する明桜投手陣をまったく苦にせずに、自分本来のスイングを繰り返しているように見えた。

 スライダーかチェンジアップの落ち際を、バットヘッドで拾うようにしてセンター前に運んだ第1打席。

 ややタイミングを外されながらもヘッドアップせずに顔がボールについていくのは、体の開きがなく、ヒザと足首が柔軟に反応していたから。そうやって、とっさに全身が反応できるのは、より高いレベルで野球ができるための必須条件だ。

 センターのスーパーキャッチに阻まれた右中間深い位置へのライナーが惜しかった。2回目の打席だ。

 基本、ローボールヒッターのスイング軌道だから、高めのカーブをわずかにこすったように打って、打球の伸びがあと一歩足りなかったか。

【次ページ】 打った瞬間それとわかる放物線。

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