マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
横浜隼人・水谷監督の見果てぬ夢。
花巻東に預けた息子・公省と甲子園で。
posted2020/07/16 07:00
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph by
Kyodo News
大きく見えるバッターになったなぁ、と思った。
打席で構えた姿が正面から見たくて、三塁側のダグアウトの横に立っていた。
ユニフォーム姿の胸郭が大きく見えているのは、背中をしっかり立てているからだ。グリップを左の肩より少し高い位置に据えて、左ヒジを捕手の方向にグッと張る。このヒジの高さがいい。ヒジに“怒り”を感じる。たとえが良くないが、人をなぐりにいく位置だ。
そこから、ポン! と脇にヒジをぶつけるように下ろしていくのが、スイングスタートのわかりやすいきっかけになる。だから、決然としたバットの振り出しになって、迷いのないスイングの勢いが生まれる。
今日の相手は、プロ注目とも評される右腕だ。
そのタテのスライダーを猛烈なスイングで振り抜いたのが、空振りになった。
振り抜いたバットがそのまま背中を叩いたのではないか……それほどのスイングは、よほどの柔軟性と体幹の強さ、なかなか両立しないこの2つの要素が兼ね備わっていないと体現できないものだ。
すげえスイングするようになったなぁ……。
父親は横浜隼人の水谷監督。
現場でプレーを見るのは、2度目だった。初めて見たのは、昨年夏の甲子園。内野にゴロを3つ。自分のスイングはさせてもらえなかった。
名実共に「4番」になってほしいから4番で使っている。そういう4番なのかなと思った。
そこから、およそ10カ月。
花巻東高・水谷公省は押しも押されもしない、立派な「4番打者」になっていた。
彼が、横浜隼人高・水谷哲也監督の息子さんであることは、すでにいく度かメディアでも紹介されていて、ご存じの方もおられるかもしれない。
花巻東高・佐々木洋監督は国士舘大を卒業してからしばらく、横浜隼人高の野球部コーチとして、指導者修行をしていた。
その時の「師匠」にあたるのが、大学の先輩である水谷監督であり、プライベートでは結婚した時の仲人さんでもある。