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欧州が本場のカヌーで「日本」に
こだわり五輪代表を掴んだ足立和也。

posted2020/07/11 08:30

 
欧州が本場のカヌーで「日本」にこだわり五輪代表を掴んだ足立和也。<Number Web> photograph by YMN

スラロームは、ゴールまでのタイムと、ポールで設けられた各ゲートへの接触や不通過によって加算されるペナルティータイムを合計して勝敗が決定する。

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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YMN

 確固とした意思とともに歩んできた。

 足立和也は、激流にときに翻弄されながらも、カヌーに打ち込み、大舞台への出場権を手にした。

「東京オリンピックの切符をとったときは、うれしかったですね」

 昨年10月、初めての五輪代表に内定したときをそう振り返る。

 今年10月に30歳の誕生日を迎える足立の「うれしかった」には、さまざまな思いが込められていた。

 カヌースラロームのカヤックシングルで活躍する足立がカヌーに触れたのは3歳の頃。

「アウトドアを取り入れている幼稚園に入ったのがきっかけですね。そこでカヌー体験をしました」
 
 その後も定期的にカヌーを体験し、やがてカヌーをやりたいという思いが心に芽生えた。

「年長の、6歳になるときくらいです。水に浮いている感覚や、まっすぐ進む難しさを知り、続けていきたいと思いました」

大きな挫折を何度も味わった。

 その後頭角を現し大会で活躍するようになると、年代別の日本代表となるまでに至った。

 将来を嘱望されたが、大きな挫折を何度も味わった。

「高校生のときは、世界の中で実力的にいいところにいました」

 だが大学に進んだ後、一転する。

「ものすごい差をつけられていったんです。そこで一度考えてみようと思いました。カヌーをやるのか、別の道を歩むのか」

 考えた末に至ったのは、「まだ戦える可能性があるんじゃないか」という結論だった。
「それだけではなく、自分自身、十代のときは、この競技をなめてるじゃないけれど、こんなもんだろうという部分がありました。

 それなのに、自分よりはるかにレベルの高いものを見せられて、敬意なども生まれ、すごいスポーツだから彼らに追いつきたい、競技をまだよく分かっていないと実感したのがいちばんでした。カヌーの奥深さ、広さを知ったというか」

【次ページ】 大学を中退し、山口県萩市に向かった。

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