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欧州が本場のカヌーで「日本」に
こだわり五輪代表を掴んだ足立和也。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byYMN
posted2020/07/11 08:30
スラロームは、ゴールまでのタイムと、ポールで設けられた各ゲートへの接触や不通過によって加算されるペナルティータイムを合計して勝敗が決定する。
大学を中退し、山口県萩市に向かった。
でもこのままでは変われない。
足立は思い切った選択をする。カヌーの名門として知られる駿河台大学を中退し、山口県萩市に向かったのである。当地で活動するコーチ、市場大樹氏の指導を受けるためだった。
「いろいろなコーチがいる中で、市場さんがいちばん一緒に作りあげてくれるというか、こうだよ、ああだよじゃなく、一緒にこうしていこうというスタイルだったのでお願いしました」
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足立は、もともと自分で考え、組み立てていく選手だった。そのため、市場のようなタイプのコーチを求めるのは自然な流れだったのだろう。
「どちらかというとカヌーに関しては、ああしたい、こうしたい、と生意気なほうなので。あとは世界のトップになった人は日本にいないから、一緒に勉強してくれる人がいいなと思いました」
「退路を断ってやりたかった」
拠点を移した理由はコーチ以外にもあった。
「友達もいないところですし、生活も分からない。退路を断ってやりたかった」
アルバイトをしながら打ち込む日々が始まった。生活は厳しかった。遠征時の話が象徴的だ。
「カヌーはメインがヨーロッパで、行くと2、3カ月は滞在します。航空券をとるところまでは大丈夫ですが、生活費を安く済ませないといけなかったので、余分なものは買えなかった。
試合のときはホットドッグ屋さんとかフライドポテトなどのお店が出ていますが、そこで1ユーロ、130円くらいだったかな、それすら買う余裕はなかった。2キロ1ユーロのジャガイモのほうが安いですし」
そうした生活の中、強くなりたいという気持ちは増していった。2012年の日本選手権で初優勝し、その後3連覇を達成、2014年のアジア大会で金メダルを獲得するなど成果にも表れていった。