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畠山健介から引退する3人の先輩へ。
大野均、湯原祐希、佐々木隆道。
posted2020/06/18 11:30
text by
畠山健介Kensuke Hatakeyama
photograph by
AFLO SPORT
新型コロナウイルスの影響がまだまだ続く中で、試合や練習ができないラグビー選手たちは、主にSNSを通じて、自身の経験や感じたことを様々な形で発信している。
昔は新聞や専門誌でしか知り得なかった情報が、今や簡単に手に入れられるようになった。
ラグビー選手の在り方も時代の流れとともに変化し、情報の量は増え、種類も多様なものになってきている。
テクノロジーの進化、時代の変化の中であらゆることが便利になっていく半面、手に入れた情報を咀嚼し、自分の中に落とし込む作業は進化や変化のスピードと反比例するように、歳を重ねるごとに難しくなっているように感じる。
各チームから退団選手、スタッフ、そして引退する選手の名前が次々に発表される。その中には、苦楽をともにした仲間の名前もある。
仲間たちと戦った過去を思い返し、がらにもなく哀愁にふけり、彼らともう二度と試合ができないと思うと、自分という人間を形成する一部が欠けたように感じる。
昔、苦くてまったく受けつけなかったアイスコーヒーを、いつしか水より好んで飲むようになったのとは違い、この苦さは、いつになっても慣れることはない。
それでも1年に一度、慣れないこの苦みを飲み込まなくてはいけない時期が訪れる。
僕はこの時期が1年で一番嫌いだ。
若い頃から見てきた「キンさん」。
大野均さん。
多くの選手、関係者、ファンから「キンちゃん」または「キンさん」と親しまれ、愛されるラグビー界のレジェンドが引退を発表した。
多くの人がキンさんの功績、業績、歩んできた競技人生、人柄を讃える記事を書いている。グラウンドの中での伝説やエピソード、グラウンド外のお酒にまつわる武勇伝も。
記事の量だけでなく内容からも、いかにキンさんが多くの人に愛されていたかが分かる。
僕にとってキンさんは同じ東北出身という繋がりはある。しかし、僕がキンさんの事を語ろうにも、表面的なことしか書けない。
ラグビーを始めたのは大学からとか、グラウンドの中では誰よりも走り、身体を張り続けたとか、日本代表キャップは歴代最多の98、ワールドカップには3回出場(2007、2011、2015)とか、お酒が好きとか、経歴や数字はもちろん素晴らしいが、キンさんの魅力は、そういう表面的な部分ではない、奥底から溢れ出る人間味、人間臭いところだと思う。
僕が若い頃から日本代表のメンバーとして戦う年上のキンさんを「大野均」という先輩、レジェンドという存在として見ていた。知らない間に自然とそう接してしまっていた。
だから僕はキンさんの本当の魅力を書く事はできない、キンさん本来の魅力である人間臭い部分に(無意識にとはいえ)触れようとしてこなかった僕には。
それでも同じ東北出身としてラグビー界の先頭で走り続けてきたキンさんを尊敬している。一緒に戦えて光栄だった。これから接することがあるならば、しっかり人間臭いキンさんに触れてみようと思う。
そのためには、もう少しお酒を飲めるようにならなければ……。
と、ここまでキンさんのことを書いている時、ちょうど「元気にやってるかい。ちょっと話したいのだが! 忙しい?」というLINEが届いた。
送り主は大好きなユハ(湯原祐希)さんだった。