畠山健介のHatake's roomBACK NUMBER
畠山健介から引退する3人の先輩へ。
大野均、湯原祐希、佐々木隆道。
text by
畠山健介Kensuke Hatakeyama
photograph byAFLO SPORT
posted2020/06/18 11:30
ラグビー界を牽引してきた先輩の引退を悲しんだ畠山(左)。フッカー湯原(中央)とはポジションも近いこともあり、若い頃から苦楽を共にしてきたという。
ユハさんに何気なく聞いた。
湯原祐希は、キンさんと同じ東芝ブレイブルーパス所属。年齢は僕より2つ上で、ユース代表の頃に知り合い、かれこれ15年近くの付き合いになる。同じクラブチームでプレーする事はなかったが、日本代表として一緒にプレーした。
LINEを見て、すぐユハさんに電話した。久しぶりの会話で話が弾んだ。内容はお互いの近況や悩みが中心だった。
ユハさんは昨シーズンから長年所属する東芝ブレイブルーパスで、プレーイングコーチという立場で、現役選手でありながら若手の育成、コーチングもする立場になっていたことは知っていた。
「ユハさんって、まだ引退しないですよね? 来年もプレーイングコーチですか?」
キンさんの引退が頭の片隅にあったのか、ふと何の気なしに聞いた。
ユハさんは今年で36歳。ラグビー選手として決して若くはない。だからといって、プレーできないほどではない。経験も豊富だ。
いつかは引退してコーチになるとしても、プレーイングコーチという立場は変わらないだろうと決めつけていた。「今じゃない。きっと来年もプレーする」と、心のどこかで決めつけていたのだろう。
「そのことなんだけどさ……」
今シーズン限りで引退する、という思ってもいなかった答えが返ってきた。
バス移動では必ず隣に座った。
ユハさんとはポジションが近いこともあり(ユハさんが2番フッカーで僕が3番プロップ)、スクラムを中心にグラウンドで常にコミュニケーションをとっていた。
キックや華麗なステップを駆使するオールラウンダータイプの堀江翔太に比べて、ユハさんはスクラムやラインアウトでのスローイングなどが安定している、昔ながらの職人タイプのフッカーだった。
経験豊富で、いろいろな状況における引き出しもたくさん持っている職人に、僕はよくアドバイスを求めた。
日本代表の遠征などでバス移動する際は、移動する距離に関係なく、どんな時も必ずユハさんの隣に座った。
「せめぇーよ(狭いよ)!」とユハさんはいつも苦笑いしながら、腰をひょっと上げて席を詰め、僕の座る分のスペースを広げてくれた(窓側の席だけは絶対譲ってくれなかったが)。
僕は合宿などで同部屋になった選手に対して、必要以上に気をつかってしまう性格で、激しい練習を終えて部屋に戻ってゆっくりしようとしても、相手に嫌な思いをさせたくないと思ってしまい、身体どころか気を休めることがなかなかできなかった。
しかし、ユース時代から意気投合しているユハさんにだけは心を許せた。
ユハさんもキンさん同様に多くの選手から親しまれてたし、愛されていた。ユハさんは僕だけでなく、みんなに優しかった。
ただ、昔からそんなユハさんを知っている僕はユハさんを独り占めしたくて、合宿のたびに必ずユハさんと同部屋になるよう「調整」した。
エディージャパン時代、過酷かつ圧倒的な練習量で、皆心身ともにどんどん疲労していく中、ユハさんと同じ部屋で過ごすことで、常に心がフレッシュな状態を保てた。
エディーに怒られた時もお互い共有し、慰め合い、明日は頑張ろうと誓い合った。