畠山健介のHatake's roomBACK NUMBER
畠山健介から引退する3人の先輩へ。
大野均、湯原祐希、佐々木隆道。
text by
畠山健介Kensuke Hatakeyama
photograph byAFLO SPORT
posted2020/06/18 11:30
ラグビー界を牽引してきた先輩の引退を悲しんだ畠山(左)。フッカー湯原(中央)とはポジションも近いこともあり、若い頃から苦楽を共にしてきたという。
先輩でもあり、親友でもあった。
ラグビーしか興味のない僕とは違い、ユハさんはいろんなことを知っていた。ユハさんからいろいろなことを教えてもらった。ユハさんが持っている小物を真似して同じものを買ったりした。
ユハさんがいてくれたから、どんなにキツい時も耐えることができた。どんなにムカつくことがあっても、ユハさんに打ち明ければ、次の瞬間には笑っていた。
ユハさんは僕にとって頼りになる先輩であり、ともに笑い合える親友であり、僕の気持ちを救ってくれたメンターであり、心許せる数少ない大切な存在だ。
そんなユハさんも引退する。
アメリカから帰ってきたら府中で飲む約束をして、電話を切った。
ユハさんとの思い出を振り返り、胸が苦しくなって、歯も磨かず、布団に倒れ込んだ。
横では家族が寝ている。寝ている娘や嫁の顔を見ながら、家族以外で、ユハさんのような人に出会えるのか考えようとして、止めた。
夢の中へ逃げられるように、目を閉じた。まぶたの裏にユハさんと2人で笑い合う記憶が蘇った。僕は家族を起こさぬように、声を殺しながらユハさんとの思い出を思い返しながら、静かに笑い続けた。
黄金世代の筆頭格、佐々木隆道。
ユハさんは僕の2学年上(1984年の早生まれ)。この1983年度の代は多くの才能が躍動し、輝きを放った黄金世代だった。
その黄金世代の筆頭格で大学、社会人で10年近くともにプレーした佐々木隆道。
タカミチさんも引退を発表した。
タカミチさんは早稲田大学時代からの先輩だが、その存在は高校生の頃から知っていた。
花園の決勝で相手のパスを奪うインターセプトから独走してトライする姿をテレビで観て以来、タカミチさんは僕の憧れだった。大学で初めて会った時の感動は今でも覚えている。
キンさんが大学からラグビーを初めたのに対し、タカミチさんは若い頃からラグビーの王道を歩んできた、エリートのような存在だった。
大阪・啓光学園(現・常翔啓光学園)ラグビー部の主将として高校日本一を経験し、鳴り物入りで早稲田大学ラグビー部に入部。
1年からナンバーエイトのポジションでレギュラー出場し、大学4年間で3度の日本一を経験。4年時には主将として大学選手権2連覇達成。
その年に行われた日本選手権ではトヨタ自動車を破る快挙を達成した。
トップリーグではサントリーサンゴリアスに当時では異例のプロ契約で入団。1年目からレギュラーとして出場し、何度も日本一を経験。
2007年のラグビーワールドカップ、フランス大会では史上最年少ゲームキャプテンとして初戦のオーストラリア戦に出場。
2つ歳下の僕はタカミチさんの歩みを大学から間近で見てきた。すさまじい勢いで日本ラグビーの王道を駆け抜けた。
しかし実際は、王道を華やかに駆け上がるエリートとは違い、誰よりも必死に走っていた。