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クラブ最強は読売かヴェルディか?
与那城の衝撃と幻のアモローゾ。
text by
加部究Kiwamu Kabe
photograph byAFLO
posted2020/06/10 18:00
1人の選手がクラブのカラーを決めてしまうことがある。与那城ジョージはヴェルディにとってそういう選手だった。
クラブの色を1人で決定づけた。
1986年は、クラブにとって大きな節目だった。MFで好守の要として活躍してきた与那城と小見幸隆が引退。翌1987年3月に、それまで負けていなかった日産に初勝利を献上すると、そこが引き分けを挟む15連敗の出発点となった。
与那城はクラブの色を決定づけた選手で、一方小見はユースチームの一期生だった。
小見は与那城が来た時の衝撃を鮮明に覚えている。
「プレーを見た瞬間に、これは違うぞ、と思いました。目が合っていないのに、こんなの見たことがないというスルーパスが出てくる。本物のノールックでした」
JSL(日本サッカーリーグ)初優勝時に監督を務めた千葉進(故人)などは、ショックを通り超して落胆してしまった。
「年齢も一緒で今までサッカーに費やした時間はオレの方が多いかもしれない。よく走ったし、厳しい練習にも耐えて来たのに……。もうサッカーやめたくなったよ」
因みに与那城は、サンパウロの日系人リーグで趣味でプレーしていた選手だったが、コーチ転身後のプレーを見たビスマルクが「こんな上手い日本人は見たことがない」と目を丸くしたという。
「もう止めようがなかった」
横浜マリノスの初代監督を務めた清水秀彦も、与那城が健在の間は手を焼いた。
「ジョージは、上手くて速くて賢い選手。しっかりマークしていればロングボールを散らしてくるし、少しでも寄せが遅れれば鋭いドリブルで一気に飛び出してくる。もう止めようがなかった」
前線で与那城とラモスがテンポ良く絡み、途中からFWにポジションを変えた戸塚哲也が得点王を獲得する。後方では小見がエースを抑え込み、両サイドからは都並敏史や松木がアグレッシブに攻め上がる。
1994年にはペレイラがMVPを獲得するなど安定感や勝負強さではヴェルディに分があるとしても、時代背景を思えば1980年代半ばまでの読売の躍動感は明らかに突き抜けていた。