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クラブ最強は読売かヴェルディか?
与那城の衝撃と幻のアモローゾ。
posted2020/06/10 18:00
text by
加部究Kiwamu Kabe
photograph by
AFLO
時代の異なるチームの比較は、所詮想像の産物だ。また脳裏に深く刻み込まれるのは、俯瞰したシーズンよりは刹那的なパフォーマンスなのだと思う。
Jリーグ草創期に連覇を遂げたヴェルディ川崎は、成熟したプロフェッショナルによる軌道修正能力が際立った。改革を掲げた松木安太郎監督に対し、しっかりと自立した選手たちが現実的に折り合いをつけていった。堅固な守備で相手に隙を与えず、ラモス瑠偉、ビスマルクらの仕上げの妙や、カズ(三浦知良)や武田修宏の決定力が違いを生み出した。
それはプロの先駆者としての集大成ではあった。ただしそれがクラブの「最盛期」だったのかと言えば、見解は絞り切れない。
ジョージ与那城というレジェンドの存在。
例えば北澤豪は「ジョージ与那城さんたちが活躍していた頃の方が、自在にリズムを変えて相手を吸収してしまうような凄さがあったかもしれない」と語るし、監督としてプロの時代を迎えた松木安太郎も「ドイツからルディ・グーテンドルフを監督に迎えた頃(1984年)は、僕もキャプテンとして年齢的にも絶好調。両SBも積極的に攻め上がり、日本代表にも勝つなどモダンな試合をしていた」と懐かしむ。
実際プロの時代が「読売(現東京ヴェルディ)と日産(現横浜F・マリノス)の2強が引っ張る形」(武田)で到来したとすれば、やはりアマチュア末期から続いた「日本のクラシコ」の極端な傾きは見過ごせない。1986年に清水東高校を卒業して入団した武田が振り返る。
「ルーキーで最初の日産戦(国立)に出場して2-0で勝ったんですが、それからJリーグ最初の年までまったく勝てなかった。連敗にピリオドを打つ延長Vゴールを決めた(1993年11月10日、同じ国立)時は、嬉しさよりもホッとしました」