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原博実にとっての“最恐”Jクラブ。
オシム千葉との死闘、加地のPK直訴。 

text by

松本宣昭

松本宣昭Yoshiaki Matsumoto

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photograph byJ.LEAGUE

posted2020/05/21 19:00

原博実にとっての“最恐”Jクラブ。オシム千葉との死闘、加地のPK直訴。<Number Web> photograph by J.LEAGUE

当時FC東京を率いていた原博実が度肝を抜かれたというオシムの大胆采配。ジェフとの名勝負は今も記憶に新しい。

「今ちゃん、左サイドバックやって」

 オシムさんのジェフとの対戦では、FC東京の選手の新たな能力も開花しました。今野泰幸の“ポリバレンス”です。2005年5月のジェフ戦を目前に控えた練習中、僕は今野にこう伝えました。

「今ちゃん、次の試合は左サイドバックやって」

 今野は驚いた顔で「え!? できないです。無理です。やったことないです」。当時はジェフの右サイドハーフ・水野晃樹が絶好調。彼とマッチアップする左サイドバックのレギュラーだった金沢浄がいない状況でした。本職はボランチですが、今野の守備能力の高さはわかっていましたから、イチかバチか水野にぶつけることにしました。今野はああいう性格ですから、反対するのも予想どおり。だから、うまく誤魔化しました(笑)

「今ちゃん、大丈夫だから。やってみてよ。ダメだったら、すぐにボランチに戻すから」

 結果は1-2で敗れましたけど、試合後、ロッカールームに引き上げてきた今野にこう声をかけたことを覚えています。

「今ちゃん、できるじゃん!」

 それくらい今野の守備は完璧で、水野の突破を封じることができました。

ナビスコ決勝、ジャーン退場のときも。

 彼は不思議な選手です。厳しい環境に置けば置くほど、能力を発揮する。「無理です」と言うのに、無理ができる。

 優勝した'04年のナビスコカップ(現ルヴァンカップ)決勝・浦和レッズ戦もそうでした。あの試合では、29分にセンターバックのジャーンが退場に。そこで僕は、ボランチの三浦文丈をベンチに下げて、最終ラインに藤山竜仁を投入しました。10人の状況で、中盤の底は今野1枚。この布陣変更に、周りからは「馬鹿げている」と言われましたよ(笑)。

 でも今野は、期待に応えてくれた。素晴らしい読みとプレー範囲の広さで、チームの守備を機能させてくれた。そして結果論ですが、センターバックが茂庭照幸と藤山という俊敏性に優れたペアになったことで、エメルソン、田中達也、永井雄一郎というスピードが武器の浦和の前線に対応できたと思います。

【次ページ】 もつれたPK戦。5番手が決まらない。

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