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原博実にとっての“最恐”Jクラブ。
オシム千葉との死闘、加地のPK直訴。
text by
松本宣昭Yoshiaki Matsumoto
photograph byJ.LEAGUE
posted2020/05/21 19:00
当時FC東京を率いていた原博実が度肝を抜かれたというオシムの大胆采配。ジェフとの名勝負は今も記憶に新しい。
もつれたPK戦。5番手が決まらない。
延長戦を終えても両チームにゴールは生まれず。決着はPK戦にもつれ込みました。たとえ1人少なくても、最後まで1点を狙っていたから、正直、タイムアップの笛が鳴ったときは、悔しかった。そして困ったことが1つ。PK戦の順番を全然決めていなかったんです。
1番手はルーカス。これだけは決めていました。ルーカスはPKが得意でしたし、試合中にPKを獲得した場合のキッカーも彼でしたから。問題は2番手以降です。選手たちを見渡しても、みんな疲労困憊で、僕と目を合わせない(笑)。だから、こう決めました。
“若い選手に蹴らせよう”
優勝が懸かったPK戦。そんな状況では、ベテランの選手ほど、クラブへの思いが強い選手ほど重圧がかかる。そうなると失敗もしやすい。若い選手ならば、たとえ失敗したとしても、きっとその後のサッカー人生の糧になるはず。そう信じて、キッカーを指名しました。
2番手=馬場憂太、3番手=今野、4番手=梶山陽平。
いずれも当時、20代前半の選手です。ただ、最もプレッシャーのかかる5番手だけが決まりません。いったんは、GKの土肥洋一に蹴らせようと思っていました。練習中に遊びでPKを蹴っていて、うまいことは知っていましたし、GKならば、失敗しても自分で取り返せばいいですからね。
「俺、行きます!」の声の主。
ところが。ある選手が勢いよく手を挙げたんです。
「はい! 俺、行きます!」
声の主は、加地亮。加地? 正直、加地に蹴らせるなんて、想像すらしていませんでした(笑)。先日、本人から聞いたのですが、加地自身もなぜあのとき手を挙げたのかわからないそうです。でも、「なぜかわからないけど、入ると思った」と。
迎えたPK戦で、加地は冷静にGKの逆を突いて成功。その瞬間、FC東京史上初のタイトル獲得が決まりました。
その勝負度胸だけでなく、加地はフリーランニングや献身的な守備など、チームを勝たせるためのプレーができる選手です。ルーカスもそうでした。だからこそ2人とも、ガンバ大阪に移籍してからも、たくさんのタイトルをクラブにもたらした。
そういう「勝たせる選手」が、どれだけいたか。これも、自分にとっての“Jリーグ歴代最強チーム”を考える上での、1つの基準になるかもしれませんね。