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鹿島と磐田2強時代を象徴する激闘と
小笠原、名波、藤田らのトリビア。
text by
斎藤純Jun Saito
photograph byJ.LEAGUE
posted2020/05/05 11:30
藤田俊哉と本田泰人のマッチアップに、若き日の小笠原満男。1999年の磐田と鹿島の争いは、スペシャルな美しさがあった。
中山と高原の豪華2トップ。
FWは“隊長”中山雅史と19歳の高原直泰。中山は前年に4試合連続のハットトリックを記録するなど36得点を叩き出し、得点王とMVPをダブル受賞。高原も2002年に同じくダブル受賞の栄誉に輝いた。2人がJ1で積み上げたゴール数は計234。説明不要の、日本を代表するストライカーの名コンビである。
フランスW杯の決勝戦も裁いたベルコーラ主審のホイッスルで、国立の一戦は幕を開けた。
小笠原の17年連続ゴールの第一歩。
リーグ戦2連敗中だった前年王者・鹿島は前半から磐田ゴールに襲い掛かる。柳沢が、平瀬が、鋭い裏抜けからGKと1対1のチャンスをつくるものの、大神が仁王立ちでいずれもストップした。そんな嫌な流れを、のちのミスターアントラーズが振り払う。
リーグ戦525試合出場69得点。手にしたタイトルは17冠。2018年に引退した小笠原満男が鹿島で残した功績はバンディエラと呼ぶにふさわしい。
現在はフットゴルフの日本代表選手として活躍するレフティー阿部から送られた丁寧な浮き球のパス。その先には、小笠原がいた。
以後のプレースタイルを考えれば、いささか意外に思えたかもしれない。鹿島で、そして日本代表で。正確なパスとプレースキック、ボール奪取を武器にプロの世界を生き抜くことになる司令塔のJ1初得点は、ヘディングによるものだった。控えめに喜ぶ寡黙な20歳に、28歳の秋田が自陣から駆け寄って抱きつく。
現在もJリーグ記録となっているJ1での17シーズン連続得点。1999年5月5日に刻まれた先制点は、その1ページ目となった。
名波がセリエA移籍前最後のFK弾。
後半に入り、1点を追う磐田ベンチは先に動く。高原に代えて清水範久、福西に代えて川口信男とスピード豊かなアタッカーを投入した。それでもスコアは動かない。中山が秋田と競り合いながら放ったヘディングシュートもバーに嫌われる。残り時間10分を切ったところで、磐田は鹿島ゴール前でのFKを獲得した。
ボールの前に立ったのは右利きの藤田と、左利きの名波だった。右の10番か、左の7番か。藤田が踏み込みのフェイクを入れた直後、名波の左足が振り抜かれた。放物線を描いたボールは対角線の右ポスト内側に直撃し、ネットを揺らす。
Jリーグ史に残る、あまりにも美しいFK。夏にセリエAヴェネチアへ移籍することになる名波にとっては、このシーズン磐田で最後に挙げたゴールだった。
ベルコーラ主審が長い笛を鳴らす。試合の行方はVゴール方式の延長戦に持ち込まれた。