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鹿島と磐田2強時代を象徴する激闘と
小笠原、名波、藤田らのトリビア。 

text by

斎藤純

斎藤純Jun Saito

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photograph byJ.LEAGUE

posted2020/05/05 11:30

鹿島と磐田2強時代を象徴する激闘と小笠原、名波、藤田らのトリビア。<Number Web> photograph by J.LEAGUE

藤田俊哉と本田泰人のマッチアップに、若き日の小笠原満男。1999年の磐田と鹿島の争いは、スペシャルな美しさがあった。

VゴールのJ記録を持つ男・藤田。

 中山や柳沢も名を連ねる、J1通算100ゴール以上をマークした14選手の中で、FWを本職としていない選手が2人いる。1人は遠藤保仁(現・ガンバ大阪)、もう1人が藤田俊哉だ。

 藤田は、流動的なパスサッカーで黄金期を築いた磐田におけるキープレーヤーだった。シーズン2桁得点を達成すること4回、2001年にはMVPにも輝いている。W杯優勝キャプテンのドゥンガから、元オランダ代表のファネンブルグから薫陶を受け、決定機を演出することも仕留めることもできる選手へと成長した。高い技術もさることながら、質の高いフリーランニングで危険なエリアへ顔を出し続けてチャンスをうかがい、得点を重ねた。

 国立では15分ハーフの延長戦に入っても白熱した攻防が続いていた。延長前半には柳沢と鬼木が強烈なシュートを放ち、後半には一本のロングパスにまたも柳沢が抜け出す。しかし、いずれの決定機も大神が阻んだ。シュート24本を浴びながらも最少失点で切り抜けた。

 最前線の中山を目がけ、ロングボールが入る。中山が競り合う前から、藤田はボールの行方を信じてスプリントをかけていた。

 時計の針は延長後半5分をさしていたが、藤田の足は止まらない。秋田の背後を取ってペナルティーエリア内に入ると、中山が落としたボールがこぼれてきた。飛び出した高桑より一瞬早く、インサイドキックで流し込む。

 小笠原の初ゴールが驚きを含んだものであり、名波のFKが彼の代名詞の1つであるならば、熱戦に終止符を打った藤田の決勝点もまた、“らしさ”を凝縮したものだった。余談だが、藤田はのちに福田正博と並んでVゴールのJリーグ記録(9得点)を樹立する。

「鹿島と素晴らしい試合ができて」

 磐田の桑原監督は「勝ったこともうれしいが、鹿島と素晴らしい試合ができて良かった」と試合後に振り返っている。あの日、あの試合を見た人なら、その言葉がリップサービスでないことはすぐにわかるだろう。

 21年の月日が経った。国立競技場も新しく生まれ変わった。それでもきっと、宿命のライバル対決は多くの人の脳裏に残り、語り継がれていくはずだ。Jリーグを彩った名選手たちの、甘美な記憶とともに。

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