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鹿島と磐田2強時代を象徴する激闘と
小笠原、名波、藤田らのトリビア。
posted2020/05/05 11:30
text by
斎藤純Jun Saito
photograph by
J.LEAGUE
ナショナルダービーは延長後半に突入していた。5万1575人の大観衆を飲み込んだ国立霞ヶ丘競技場が、揺れる。
決勝点を決めた藤田俊哉の上に、サックスブルーの選手たちが折り重なった。まだJリーグに延長戦とVゴール方式が存在していた時代だ。1999年5月5日、J1リーグ1stステージ第11節のことだった。
1996年から2002年まで、Jリーグの優勝は鹿島アントラーズとジュビロ磐田の2チームが分けあっていた。1シーズン制だった96年は鹿島が、2ステージ制に戻った97年は磐田が、翌'98年は再び鹿島が、優勝シャーレを寒空に掲げた。
この試合でリーグ戦5連勝を飾った磐田は、その勢いのままに1stステージを制し、年間王者に輝くことになる。一方の鹿島は翌年、Jリーグ史上初の3冠を達成。文字通りの2強時代だ。
ライバル対決にふさわしく、両チームのスターティングメンバーには豪華な顔ぶれが並んだ。
22人のキャリアを見るとA代表キャップ保持者が15人、ワールドカップ経験者が9人。引退後にJクラブで監督経験を持つ選手も7人にのぼる。令和2年目を迎えたいま振り返っても、あのピッチに立っていた戦士たちの華やかな経歴は全く色褪せることがない。21年前の国立は、やはり特別で幸福な空間だったのだ。
秋田、相馬、名良橋はW杯経験組。
ホームの鹿島ゴールを守ったのは高桑大二朗。190cmの大型GKは翌年のベストイレブンに選ばれ、A代表デビューも飾った。
DFは鬼木達、秋田豊、奥野僚右、相馬直樹の4バック。川崎フロンターレをJ1連覇に導いた鬼木をはじめ4人全員がJクラブの監督経験を持ち、相馬(現・鹿島コーチ)を除く3人は、指揮官として今季のJリーグに臨んでいる。
秋田と相馬、そして磐田戦を欠場した名良橋晃の3人は、前年行われたワールドカップの日本代表メンバーとしてフランスのピッチに立っている。とりわけ秋田はヘディングと激しいマークを武器に、バティストゥータ(アルゼンチン)やスーケル(クロアチア)と渡り合い、3戦全敗に終わった日本にあって大きなインパクトを残した。