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鹿島と磐田2強時代を象徴する激闘と
小笠原、名波、藤田らのトリビア。 

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斎藤純

斎藤純Jun Saito

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photograph byJ.LEAGUE

posted2020/05/05 11:30

鹿島と磐田2強時代を象徴する激闘と小笠原、名波、藤田らのトリビア。<Number Web> photograph by J.LEAGUE

藤田俊哉と本田泰人のマッチアップに、若き日の小笠原満男。1999年の磐田と鹿島の争いは、スペシャルな美しさがあった。

黄金世代4人全員が背番号20番台。

 中盤に目を移すと、キャプテンの本田泰人に阿部敏之、お祈りポーズで人気を博したビスマルク、プロ2年目だった小笠原満男の名前が並ぶ。

 FWは前年チーム最多の22ゴールを挙げた柳沢敦と、平瀬智行の五輪代表コンビが2トップを組んだ。1999年の平瀬といえば、12戦全勝で突破を決めたシドニー五輪のアジア予選で計17得点と大爆発した姿を思い出す人もいるだろう。磐田戦は彼がシンデレラボーイとして日本中に名を轟かせる、1ヶ月ほど前の出来事だった。

 小笠原とともに4月のFIFAワールドユース選手権(現・FIFA U-20W杯)で準優勝に輝いたGK曽ヶ端準、MF本山雅志、MF中田浩二もベンチに入っている。実は彼らの当時の背番号は本山が24、中田が26、小笠原が27、曽ヶ端が28。のちに鹿島のさらなる常勝期を築くことになる1979年生まれの「黄金世代」が、エネーレのユニフォームにまだ少し大きな番号を背負っていた時代だった。

「N-BOX」前の磐田の並びは……。

 一方の磐田は、開幕からの8試合を7勝1敗と好スタートを切ると、4月末にイランで行われたアジアクラブ選手権を制して国立に乗り込んだ。過密日程の中でDF鈴木秀人が欠場したものの、桑原隆監督が率いる純国産布陣は充実の陣容だ。

 GKには現在磐田のGKコーチを務める大神友明。DFは背番号11の久藤清一と2大会連続(1998、2002年)でW杯に出場した服部年宏がサイドバックを務め、「男・前田」として愛された前田浩二と田中誠がセンターバックを組んだ。

 服部、田中、欠場の鈴木は1996年のアトランタ五輪に出場。ブラジルを破った「マイアミの奇跡」の立役者が揃う最終ラインは、前述の鹿島にネームバリューでも引けを取らない。また久藤と前田はのちに監督としてJリーグのピッチサイドに立った。鹿島の4人と合わせ、この試合に先発出場した8人のDFのうち6人。監督輩出率が高いことも守備陣の豪華さを物語る。

 MFは福西崇史、奥大介、藤田俊哉、そして日本代表の10番を背負う名波浩の、磐田が誇るレジェンドカルテット。同年夏に行われたコパ・アメリカの日本代表メンバーに4人全員が選出されたことも、「黄金の中盤」を説明するには十分な材料だろう。

 当時は藤田が27歳、名波が26歳、奥が23歳、福西が22歳。この4人に服部を加えた5枚の中盤が「N-BOX」としてJリーグを席巻するのは、もう少し後のことになる。

【次ページ】 中山と高原の豪華2トップ。

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