スポーツ・インテリジェンス原論BACK NUMBER
初めてNumberを買ってから40年。
したかったのはスポーツを書くこと。
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生島淳Jun Ikushima
photograph bySports Graphic Number
posted2020/04/10 11:30
![初めてNumberを買ってから40年。したかったのはスポーツを書くこと。<Number Web> photograph by Sports Graphic Number](https://number.ismcdn.jp/mwimgs/2/f/700/img_2f3dbe864dd8ab7b2e0e83bcbd8e7e8a148654.jpg)
生島淳氏が初めて寄稿してくれたNumber319号。1990年代はNBAの特集も多かった。
1993年、兄が編集部に電話をして。
1990年、広告代理店に就職したが、どうにも私の居場所はないように思えた(それでも9年以上は勤めた)。
就職して初めて分かることもあって、自分がいちばんやってみたいことは、スポーツを書くことだった。
ラグビーを通した先達の導きもあって、1991年あたりから原稿を書くことを始めてはいたが、Numberに書くのは敷居が高かった。
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しかし、Number10号を買うきっかけを作ってくれた兄が、鬱々としていた私に、
「やってみろって。俺が電話してやっから」
と勝手に話を進め、編集部に電話をして、私は編集者の人と会うことになった。
1993年、春のことである。
書き手としての私はNumberに育てられた。
私はこの年、初めて文藝春秋に赴き、Tさんという編集者と話をした。
一応、原稿を持っていった。アメリカの大学バスケットの話である。手ごたえは……分からなかった。
程なくして、Tさんから家に電話をもらった。
「原稿をお願いできればと思うのですが」
驚いた。
そしてNumber319号、「スリーピート」を達成したマイケル・ジョーダンが表紙を飾った号に、初めて私の原稿が掲載された。
1頁の記事である。
それから27年、担当編集者は軽く100人は超えているだろう。
書き手としての私は、Numberに育てられたのである。
1000号に立ち会えたことを、うれしく思う。
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