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初めてNumberを買ってから40年。
したかったのはスポーツを書くこと。 

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生島淳

生島淳Jun Ikushima

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posted2020/04/10 11:30

初めてNumberを買ってから40年。したかったのはスポーツを書くこと。<Number Web> photograph by Sports Graphic Number

生島淳氏が初めて寄稿してくれたNumber319号。1990年代はNBAの特集も多かった。

なぜか2冊買ったらしい早稲田特集。

 1986年、早稲田大学に入学した。

 志望動機はラグビー、野球が強く、そして瀬古利彦の母校だったからだ。学部はどこでも良かった。

 1987年のシーズン、ラグビー部は清宮克幸(彼とは同い年である)、堀越正巳、今泉清らを擁して東芝府中を破って日本一に輝く。

 当時、Numberはシーズンに2回はラグビー特集を組んでいたが、この年は第1回ワールドカップが開催されたこともあり、いつにも増してラグビーに力が入っていた。10月から11月にかけてはW杯で優勝したオールブラックスがやってきて、これで一冊。

 そして12月に入っての186号は雪の早明戦を受けて『早稲田、再びの栄光へ』、年が明けて日本一になった後の188号のタイトルはズバリ『早稲田大学』。担当デスクが早大OBだったんだろうか。

 両号ともなぜか2冊も買っている。保存版だと思っていたのだろう。

文藝春秋の面接は甲子園決勝とぶつかった。

 学生時代、東銀座にある小さな書店でアルバイトしていたこともあり、就職先として出版社への興味は大いにあったが、文藝春秋は受けなかった。なぜなら、広告代理店に内定をもらっていて就職活動がひと区切りついていたこと、さらには面接日と夏の甲子園決勝がぶつかってしまった。

 仙台育英対帝京。

 宮城県出身の私は、宮城県勢初の優勝を見ようと、文藝春秋を捨て、甲子園に行ったのだった。

 結果、大越基の仙台育英は延長の末、帝京に敗れた。

【次ページ】 1993年、兄が編集部に電話をして。

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