ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
武藤敬司が語る伝説の高田延彦戦。
「プロレス史に残る作品が残せた」
posted2020/04/07 20:00
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by
AFLO
「これまでのキャリアを振り返って最も印象に残ってる試合は、やっぱり高田延彦戦だよな。あの試合が俺のステータスを大きく上げてくれたし、あの試合があったからこそ、今の俺があるんだよ。高田戦こそ、平成30年間のプロレス界で、最も大きな影響を与えた試合じゃないかな」
こう語るのは、“プロレスリング・マスター”武藤敬司だ。
1995年10月9日、東京ドームでの「新日本プロレスvs.UWFインターナショナル全面対抗戦」のメインイベント、大将戦として行われた武藤敬司vs.高田延彦。武藤の言うとおり、この試合こそ平成という時代を代表する一戦と言っていいだろう。
トップレスラー同士の一騎打ち。
武藤は1980年代末から、当時WWEと並ぶアメリカのメジャー団体WCWでトップとして活躍。'90年4月に凱旋すると、明るく躍動感あるプロレスを展開し、新日本プロレスのイメージをアントニオ猪木時代からガラリと変えてみせ、闘魂三銃士の盟友である蝶野正洋、橋本真也とともに、'90年代の黄金時代を築いた立役者だ。
一方、高田は'80年代末から'90年代初頭にかけて、前田日明らとともに新生UWFで社会現象と呼ばれるブームを巻き起こし、UWF解散後はUWFインターナショナル(Uインター)の絶対的なエースとして君臨。'92年10月23日の日本武道館大会では、大相撲、新日本、SWSで立て続けにトラブルを起こしてきた“問題児”である元横綱の北尾光司に右ハイキック一発でKO勝ち。ファンの溜飲を大いに下げるとともに、“平成の格闘王”と呼ばれるようになった。
ともに時代を代表するトップレスラー同士による禁断の一騎打ち。しかも当時、新日本とUインターの間には、団体同士としても浅からぬ因縁があった。新興団体だったUインターは、旗揚げ当初から業界最大手の新日本を“仮想敵”と設定。事あるごとに新日本への挑戦、挑発行為を繰り返していたのだ。