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武藤敬司が語る伝説の高田延彦戦。
「プロレス史に残る作品が残せた」 

text by

堀江ガンツ

堀江ガンツGantz Horie

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posted2020/04/07 20:00

武藤敬司が語る伝説の高田延彦戦。「プロレス史に残る作品が残せた」<Number Web> photograph by AFLO

1995年、禁断の一騎打ちとなった武藤敬司(右)と高田延彦の一戦。当時の記録を塗り替える6万7000人が東京ドームに駆けつけた。

団体存亡を懸けた頂上決戦。

 こうして新日本vs.Uインターの全面対抗戦が電撃決定。実現するはずがない禁断の団体対抗戦が実現したインパクトは凄まじく、チケットは瞬く間に完売。当時の観客動員新記録となる6万7000人(超満員札止め=主催者発表)が東京ドームに集結した。

 対抗戦の大将戦であるメインを務める武藤敬司は、時のIWGP王者。対する高田はUインターの一枚看板。事実上、この一戦の勝敗がすべての雌雄を決する、文字通り団体の存亡を懸けた頂上対決だった。

 試合は、キックと関節技を駆使する高田のやや優勢で進むが、13分過ぎ、高田のミドルキックをキャッチした武藤がドラゴンスクリューを仕掛けると、虚を突かれた高田はこれでヒザを負傷。この好機を武藤は逃さず、執拗にヒザを攻め立て、最後はリングの中央で足4の字固めをガッチリと極め、高田にギブアップ勝ち。対抗戦は新日本の勝利に終わり、事実上ここでUインターの団体としての命運は絶たれた。

「足4の字固め」で武藤が勝った。

 そこまで残酷に明暗を分けたのは、フィニッシュが足4の字固めだったことが大きいだろう。これがもし、ムーンサルトプレスからの3カウント勝利だったとしたら、ここまでのインパクトはなかった。「高田が武藤のプロレスに歩み寄った」というイメージとなり、実力で負けた印象は少なかったはずだ。ところが“本物の関節技”を売りにした格闘技スタイルのUWFが、足4の字固めという古典的なプロレス流関節技で敗れたことで、その理念が葬られたのだ。

 この敗戦で求心力を失ったUインターは、1年2カ月後に崩壊。新日本は、この勝利により“目の上のたんこぶ”だったUインターを消すことに成功。そして勝った武藤は、プロレス界の象徴的な存在となっていき、その明るく華やかなファイトスタイルのプロレスは、棚橋弘至、内藤哲也といった、現在の新日本プロレスのトップにも多大なる影響を与えた。

 一方敗れた高田は、この2年後、“現役最後の大勝負”との決意を胸にヒクソン・グレイシーとの対戦に踏み出した。ここから総合格闘技メガイベント『PRIDE』がスタートし、MMA時代の扉を開いた。武藤敬司vs.高田延彦は、現在のプロレスとのちの総合格闘技ブームを生み出す一つのきっかけとなったのである。

【次ページ】 武藤が語るレスラーの功績とは。

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