テニスPRESSBACK NUMBER
錦織圭14歳、激闘の末の真骨頂。
小さな怪物の粘りと覚悟に痺れた。
posted2020/04/06 19:00
text by
秋山英宏Hidehiro Akiyama
photograph by
Hidehiro Akiyama
『Sports Graphic Number』は創刊1000号を迎えました。それを記念してNumberWebでも執筆ライター陣に「私にとっての1番」を挙げてもらう企画を掲載します! 今回は豊富なテニス取材経験を持つ秋山英宏氏。同氏が挙げたのは2004年、錦織圭がわずか14歳で臨んだジュニア・デビス杯だった――。
オレンジ色の午後の日ざしが今も記憶に鮮やかだ。
2004年9月のスペイン・バルセロナ。コートに立つのは14歳の錦織圭である。
ジュニア・デビスカップ(16歳以下の男子国別対抗戦)の日本代表として世界大会に参加した錦織は、地元スペインのペレ・リバと戦っていた。
長い試合だった。熱い試合だった。「プレー」のコールが掛かった頃は地中海沿岸地方に特有の明るい光が赤土のコートを満たしていたが、太陽は次第に西に傾き、選手の足もとに長い影をつくった。
その太陽が沈む頃、とうとう錦織はスペインのエースを打ち負かした。錦織圭という小さな怪物に筆者が初めて出会ったのが、この試合だった。1980年代からテニスを取材してきた筆者が、最大級のショックを味わったのが、このバルセロナの午後だった。
バウティスタを差し置いての主力。
スペインチームには、のちにATPツアーでトップ10入りするロベルト・バウティスタもいたが、当時は地元バルセロナ出身のリバが主力だった。典型的なクレーコートプレーヤーだ。初心者の頃からレッドクレーで育ったのだろう。
堅実さ、粘り強さが身上で、絶対に先にミスをしないことが生命線。ベースラインで徹底して粘り、相手にミスを強いる。そのしつこさ、ひたむきさを武器に世界に打って出ようという若者だった。
大会第2シードのスペインでエースを任されるのだから、この年代の世界トップクラスと見ていい。16歳だが、大人びた表情から、テニス王国の誇りとプロツアーで必ず成功してやるという強い意志が読み取れた。