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錦織圭14歳、激闘の末の真骨頂。
小さな怪物の粘りと覚悟に痺れた。
text by
秋山英宏Hidehiro Akiyama
photograph byHidehiro Akiyama
posted2020/04/06 19:00
ジュニアのデ杯を戦った当時の錦織圭。16年後の今も世界トップのテニスプレーヤーとして戦っている。
大チャンスを2度ふいにしても。
試合は伯仲した。錦織が第1セットを先取するも、第2セットはリバに奪われた。この時点で試合開始から2時間が経過していた。
最終セットは錦織が先にブレークに成功しながら追いつかれる場面が続いた。
4-2から挽回されて4-4、さらに5-4で迎えたサービスゲームでもブレークを許し、追いつかれてしまう。当時の錦織はサーブが弱点で、せっかくのリードを生かせなかった。なにしろ発展途上の14歳なのだ。大きなチャンスを2度もふいにすれば、心が折れてしまいかねない。
技術力の高い選手が粘り強い選手に競り負ける試合、多才な選手が愚直に戦う選手にうっちゃられる試合は少なくない。まして、2人の間には2歳の年齢差と、クレーの試合経験の差があった。「健闘むなしく……」という、嫌なフレーズが脳裏をかすめた。
しかし、錦織が本領を発揮するのはここからだ。
疲れているのに、疾風のように。
疲れの色は明らかだった。チェンジエンドでベンチに戻ると、ルーティンのように大きなタオルをすっぽりかぶり、背中を丸めた。スタンドからその背中を見ていた筆者の目には、体力的に限界が近づいているように映った。
タオルをかぶる錦織の横で、日本代表監督の村上武資は、選手のコンディションを気づかうでもなく、戦術的なアドバイスを送るでもなく、前を向いたままだった。村上はのちに、こう振り返っている。
「言うべきことなんて何もないと思っていました」
選手への信頼である。錦織の集中力、気力の充実ぶりは手に取るように分かった。戦術、ショットの選択も「ほとんど間違っていない」と見て、アドバイスは必要ないと判断していたのだ。
当時のルールで最終セットはタイブレークを採用せず、ゲームカウント5-5以降は2ゲーム差がつくまで試合を行なった。筆者も祈るような心境だったことを白状しておく。ここまできたら勝たせたい。ボールの行方だけを追い、スコアの推移に一喜一憂した。
体は疲れているはずなのに、錦織はボールの行方をいち早く読み取ると、疾風のように駆けた。疲れて思考力が落ちてもおかしくなかったが、常に意図のあるボールを相手コートにプレースメントした。
この14歳は、体力の最後の一滴まで絞り出そうとしている。頭が痛くなるくらいまで考え、選ぶべきショットや戦術を決めている。そうして、一心に勝利を求めている。その必死の姿が目をとらえて離さなかった。