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錦織圭14歳、激闘の末の真骨頂。
小さな怪物の粘りと覚悟に痺れた。 

text by

秋山英宏

秋山英宏Hidehiro Akiyama

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photograph byHidehiro Akiyama

posted2020/04/06 19:00

錦織圭14歳、激闘の末の真骨頂。小さな怪物の粘りと覚悟に痺れた。<Number Web> photograph by Hidehiro Akiyama

ジュニアのデ杯を戦った当時の錦織圭。16年後の今も世界トップのテニスプレーヤーとして戦っている。

「修造チャレンジ」で姿こそ見たが。

 一方、錦織はチームメイトの富田玄輝、喜多文明とともに、盛田正明テニスファンドの奨学生として米国ブラデントンのIMGアカデミーに留学中だった。2001年の全日本ジュニア12歳以下の部と全国小学生選手権大会で優勝、2003年には喜多、熊谷宗敏とともに14歳以下の世界大会、ワールドジュニアで準優勝と大健闘した。

 本格的にレッドクレーに挑んだのは1年前のヨーロッパ遠征が初めてだったが、持ち前の学習能力で攻守の勘どころをつかみ、この頃はクレーコートの大会で結果を出し始めていた。

 実を言うと、筆者はこのジュニアデ杯まで公式戦で錦織を見たことがなかった。松岡修造氏が主宰する「修造チャレンジ」のトップジュニアキャンプでオンコート/オフコートの姿を目にしていたが、試合観戦の機会はなかった。

重たそうなボール、高い展開力。

 錦織は細身の体をしならせ、軽やかに宙を舞いながら、ストロークを打ち出した。バックハンドは手堅く、多彩なテニスを支える土台になっていた。

 最初は、重たそうなボールに目を奪われた。厚い当たりで捉え、十分な順回転をかけて飛ばすから、赤土のコートに接地した瞬間、ボールは生き物のごとく跳ね上がる。相手のリバは、その“重さ”をずっしりと受け止めたはずだ。

 しばらく見ていくと、展開力の高さに舌を巻いた。

 選手の特徴をつかむには、ウイニングショットの“ひとつ前”に注目するのが手っ取り早い。相手に自由に打たせない強打あるいは巧打、相手の逆を突くプレースメント、コート内に侵入するネズミのような素早さと、錦織のプレーには見どころがいくつもあった。ウィニングショットも、強打にダウン・ザ・ライン、ドロップショットと多彩だった。

【次ページ】 大チャンスを2度ふいにしても。

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