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大迫傑が貫いた最強の「自分目線」。
日本記録を生んだのはブレない心。
posted2020/03/02 11:50
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph by
Nanae Suzuki
大迫傑が、雄叫びを上げてゴールテープを殴り上げた。
それは喜びというよりは、まさに感情の爆発だった。その姿を見ただけでも大迫が抱えていたものがいかに大きく、苦しかったかというのが理解できよう。
その後の優勝インタビューで「MGCで3位になってから苦しかった」と涙したが、メンタルが強い大迫でさえ、これほど追い詰められていたのだ。東京五輪の椅子を争うレースはかくも厳しく、選手を追いこんでいくものなのだということを改めて大迫の涙で理解できた。
東京マラソンは、脚の余裕度が勝敗の大きな分かれ目になると考えていた。
ハイペースのレースで、いかに自分の脚を使わず、終盤まで余裕を持ったレースを展開できるかがポイントになると。大迫が2時間5分29秒の日本新記録を達成できたのは、まさにその余裕度の差が出たように思える。
一度は「ダメかなって思った」。
20キロまで、大迫は井上大仁を含め12人の集団で走っていた。だが23キロ地点で、大迫は先頭集団から少し離れた。集団のペースは20キロから21キロが3分02秒だったが、続く1キロが2分52秒、さらに2分55秒、2分53秒、2分51秒とペースが上下し、最後は上がっていったのだ。そのペースアップに脚はついていったが、身体がもうひとつ動いていなかった
「23キロ付近から離れて行ったときはダメかなって思った」
大迫はそう思ったというが、一方で非常に冷静だった。気持ちを切り替え、自分の身体とレースをコントロールしていたのだ。
「リラックスして自分のペースで、自分のリズムを立て直す。もう1回追いつくぞというよりも1回離れてちょっと休んで、自分のリズムでということを考えていました」
結果的に、この中休みが非常に効果的だった。マラソンをしている人なら経験があるかもしれないが、休んでもただキツいだけになる後半と違って、中間距離では少し休むとまた脚と体が動いてペースを上げることが可能になる。
大迫も一回はキツく感じたがドリンクを摂るなどして再び、身体が動き出した。さらに前を行く井上たちの集団のペースが落ちるという幸運にも恵まれた。